こんな話がございます。 相州は丹沢山地のとある一隅に。 奇妙な名前の沢が集まっている場所がございます。 勝負沢、二十が沢、六百沢、転がし沢――。 これらの名がどのようにしてついたのか。 その由来をこれからお話しようと存じますが。 観応の擾乱――世に言う南北朝の動乱の頃の話でございます。 新田義貞の子に、名を義興ト申す武将がございました。 足利勢に対抗し、上野国にて同志と挙兵いたしました。 一時は首尾よく鎌倉を奪還いたしましたが。 その後は劣勢に立たされまして。 多摩川は矢口の渡しにおいて、主従ともども敵に殺されてしまいました。 さて、この義興の配下に、その名も矢口信吉ト申す武者がおりました。 主君の新田義興を、敵の騙し討ちで失って以来。 信吉はにわかに落ち武者となってしまいまして。 妻子供と、わずかばかりの家来を伴って。 相州は丹沢の山奥へト、逃げ込んでいきました。 丹沢は相州を甲州および