第10回 ’70年代「アニメ」の用語はどのように定着したか 藤津亮太 前回までで70年代のTVアニメの状況を概観したので、今回は’70年代を通じて「アニメ」の用語がどのように定着してきたかを確認したいと思う。 本連載でも第1回で、「アニメ」という言葉の使用歴を探ったが、今回は朝日新聞の記事中でどのように報じられてきたかを、関連記事を時系列で追いながら確認したい。 (下記リスト参照) ’77年までのいわゆる「アニメ」を指す言葉とそれについての記事を並べてみると、いくつかの傾向が見えてくる。 一つは、アニメという言葉はアニメーションの略語としてまず使われるケースが多かったということ。アニメーションという言葉はアートアニメやディズニーなど「本格的」な作品を指す場合に使われている。ただし単語が長いのでアニメと見出しほかで略す場合があった。 アニメーションに対して、テレビで放映されているものが「テレ
第9回 ’70年代の到達点としての’79年 藤津亮太 [筆者の紹介] 藤津亮太 (ふじつ・りょうた) 1968年生まれ。アニメ評論家。編集者などを経て、2000年よりフリーに。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)。編著に『ガンダムの現場から』(キネマ旬報社)など。アニメ雑誌、そのほか各種媒体で執筆中。 ブログ:藤津亮太の 「只今徐行運転中」 http://blog.livedoor.jp/personap21/ ’77年夏に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開され、第1次アニメブームが到来する。 ただし、’77年秋の週間放送本数が30本と高い数字をマークしているのに対し、’78年春から’80年秋まではそれよりもやや少ない20本台半ばで推移している。とはいえ’76年春まで放送本数はそもそも20本を超えることがなかったことを考えると、’77年を境に放送本数は確実に増えている。 まず’78年から’
藤津亮太のテレビとアニメの時代 第8回アニメブームの始まり 藤津亮太 (ふじつ・りょうた) [筆者の紹介] 1968年生まれ。アニメ評論家。編集者などを経て、2000年よりフリーに。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)。編著に『ガンダムの現場から』(キネマ旬報社)など。アニメ雑誌、そのほか各種媒体で執筆中。 ブログ:藤津亮太の 「只今徐行運転中」 http://blog.livedoor.jp/personap21/ 7月5日に都内で『アニメの門 場外乱闘編』と題する小さなトークイベントを行った。これは筆者が数ヶ月に1回のペースで開いているもので、第7回となる今回は「極私的アニメブーム論」というテーマ。ライターの小川びい氏と先輩ライターの某氏との3人で、’80年前後に盛り上がった「第1次アニメブーム」の始まりと終わりについて語り合った。 トークでまず話題にしたのは「アニメブームの始まり
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