タグ

原爆に関するCherenkovのブックマーク (3)

  • バービーの件に関してどうしても語らなければならない諸々の事

    例の件に関して、当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもない人間がどうこう、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。 俺は長崎の生まれで被爆三世で当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。 俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者はほとんど残っていないから俺が言う。 長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラーどころか扇風機もない真夏の小学校の体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺はとにかくそれが辛かった。 話をする年寄りはもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。 もうひとう、この時期になると廊下にはずらりと、他所の地域ならPTAが発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出され

    バービーの件に関してどうしても語らなければならない諸々の事
  • セミパラチンスク核実験場 - Wikipedia

    セミパラチンスク核実験場(Семипалатинский ядерный полигон)は、旧ソビエト連邦のかつての主要な核実験場である。カザフ共和国(現・カザフスタン)の北東部、セメイの西方150キロメートルの草原地帯にあり、面積は約1万8000平方キロメートル(日の四国の面積にほぼ等しい)。 旧ソ連初の核実験(1949年8月29日)から、ソビエト連邦の崩壊に伴う閉鎖(1991年8月29日)まで合計456回の核実験に使用された[2]。閉鎖を記念して、8月29日は国際連合の「核実験に反対する国際デー」となっている。閉鎖後も放射能汚染は残っている[2]。 旧ソ連の核実験は軍事機密として周辺住民に危険性が知らされず、放射性降下物や地下核実験で漏れた放射性ガスによる被曝で癌・白血病、新生児の障害などが多発し、健康被害を受けた人は合計150万人を超えると推定されている[2]。ソ連崩壊後はカザフ

    セミパラチンスク核実験場 - Wikipedia
    Cherenkov
    Cherenkov 2011/04/10
    「ソビエト連邦の崩壊で、セミパラチンスクは世界で唯一科学的な調査ができる核実験場となった」
  • TwitLonger — When you talk too much for Twitter

    「核は大地に刻まれていた~“死の灰” 消えぬ脅威~」書き起こし。 NHKスペシャル。2009年8月6日放送。 http://www.nhk.or.jp/special/onair/090806.html ■動画 http://www.dailymotion.com/video/xhpuxe_yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy-1_tech http://www.dailymotion.com/video/xhq2hl_yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy-2_tech http://www.dailymotion.com/video/xhq2hv_yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy-3_tech ■書き起こし 中央アジア、カザフスタンに広がる大草原。そこにクレーターのような窪みがいくつも刻まれている。旧ソビエト・セミパラチンスク核実験場だ。 冷戦時代、ソビ

  • 1