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*columnと心理に関するCiboのブックマーク (3)

  • Spherical-moss.net − 被害者意識と救い

    朝起きて久々にアクセス解析を眺めてみたら、異常にアクセスが跳ね上がっていたのでなんじゃこらああああああ!と思ったら、過去に書いたいじめ被害者の特徴なるエントリにやたらブックマークがついていた。あーびっくりした。何かと思った。 一応補足しておくと、あのリストに書いてあるのは被害者に起こる「内面的な変化」及び「内面的変化によって引き起こされる行動の変化」ね。しかも自分の場合。一般的に適用できるかどうかは分かんない。ある程度当てはまる部分はあると思うけど、結局ケースバイケース。人の元々の気質によるところも大きいと思う。 それはそうとして、ずーっと治療を重ねてきて気づいたのはね、結局こっちが仏にならないと自分を救うことはできないということ。私は今だ仏になれないので、今だに悪夢や怒りで苦しむことがある。そういうとき、「私は悪くないのに!」と被害者意識丸出しで暴れたくなる。だから余計に苦しくなる。こ

  • 「お前、悔しくないの?」 - シロクマの屑籠

    ネット上で諦念をぶちまけている若い人などをみていて考えさせられることは沢山あるが、その一つに「お前、悔しくないの?」というものがある。女の子に邪険にされたとか、会社で○○な目に遭ったとか、そういう出来事は生きている限り遭遇しないわけにはいかない不幸なわけだけど、彼らはそれを発奮材料にすることもなければ、悔しさに歯軋りしてみせることもない。ただ、呻くだけである。 彼らとて、「うつだー」「もうだめぽ」「こんなボクなんて...」とネガティブな感情に捕らわれるし、巧くいっている連中を妬むことだってある。そういう文章はネット上に幾らでも転がっている。だけど、悔しいという感情を発奮材料として、悔しさをもたらした人達を見返してやろうと決意するような文章は、ネット上であまりお目にかからない。恋愛に関して不遇な境遇の若者においても、仕事で何か言われてぺしゃんこになっている新入社員においても、ネット上では「う

    「お前、悔しくないの?」 - シロクマの屑籠
  • 肉欲企画。: 優しさは愛ではないのか

    ソースが明確ではないのであまり断言はできないのだけれど、かの高名な詩人・谷川俊太郎氏は 『優しさは愛ではない』 と仰ったそうだ。優しさにしても愛にしても、どちらかといえば世間的には良いイメージで捉えられているにもかかわらず、この指摘。 優しいことは、当に『愛』たり得ないのだろうか。 一般的に、優しい人は他人から好かれるとされている。 あるいは、優しい人はモテる、という認識もある。 どちらにしても『優しい』ということは概ね評価される傾向にあることは間違いない。 その一方で『優しいだけではダメだ』という声もある。 あるいは『厳しくすることが却って優しい場合もある』と提唱する人もいる。 このようにしてみると、どうも優しさという概念は一義的には定義できず、その性質は様々なケースの中で揺れ動く類のものらしい。 あんまり大きく広げてしまうとが一冊書けるくらい膨大な日記になりそうなので、少しばかり状

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