1980年4月、八尾市立大正中学校へ進学後は[6]、中学の野球部に所属し、準硬式の試合(大阪中学校優勝野球大会)に出場した。入学直後に外野手・一塁手としてレギュラーとなり、秋から主戦級投手として活躍した[7]。 2年次には、第32回大阪中学校優勝野球大会で優勝した守口市立八雲中学校(エースは清水哲)に0-1で惜敗した[8]。3年次は、出場した春の中河内地区大会、大阪府大会、八尾市大会、第33回大阪中学校優勝野球大会の全てを制覇している[9]。 大正中学時代は、後にプロに進んだ西山秀二とバッテリーを組んでいた[10]。桑田、西山を擁する大正中は、投打とも群を抜く強さだったと言われ[11]、また大会50周年記念誌には、「桑田の球はファウルにするのがやっとという有様で、たまに出塁しても、見事なピックオフプレーにやられ、完敗を喫した。負けて悔しいというよりも、あまりの力の差に唖然とさせられるばかり