読書ノート(ほとんど引用からなっています)。一人称単数を使った場合は半ば「フィクション」です。海外在住。『物語批判序説』(1985)の末尾に近い箇所で、ロラン・バルトの反否定神学的戦略=倒錯的戦略を語る文脈において、蓮實重彦は、《二十世紀的な知の諸分野における超=虚構の完成が、何らかの意味で「犠牲」そのものをめぐる思考に支えられているという点が興味深い》と書いている。そこでの「犠牲」は、いうまでもなく、抹殺、消滅、排除、抑圧といった多少とも暴力的なイメージで語られているが、いずれにせよ何ものかを不在たらしめる振舞いか、あるいは不可視の何ものかの力学的な支配なくしては秩序は形成されえないとする視点がそれぞれの言説を活気づけているという点は、いまさら指摘するまでもない。文字通り「父」を殺すことを主要な説話論的な挿話とするいわゆるエディプス神話と精神分析との深からぬ関係は、それがフロイトの言説の