笹川 良一(ささかわ りょういち、1899年〈明治32年〉5月4日 - 1995年〈平成7年〉7月18日)は、大正・昭和時代の日本の右翼活動家、社会奉仕活動家[2]。大阪府三島郡豊川村小野原(のちの箕面市小野原)出身。座右の銘は「世界一家 人類兄弟」。 戦前は国粋大衆党総裁、衆議院議員。戦後は、財団法人日本船舶振興会(1962年設立。現在の公益財団法人日本財団)会長、国際勝共連合名誉会長(1968年就任。のちに辞任)、全日本カレー工業協同組合[3][4]特別顧問、福岡工業大学理事長[5]を務めた。箕面市名誉市民。勲一等旭日大綬章受章者。 妾との三男が笹川陽平である[2][6]。戦後は、日本国内のボートレース(競艇)の創設に尽力し、「競艇界のドン」の異名を取った。 アメリカ大統領・ロナルド・レーガンと(1988年、ホワイトハウス) 第二次世界大戦前の笹川は、自分を「大衆右翼」と位置づけ[7]