鉄腕バーディ DECODE シリーズの、01 は最後のあたりになってようやくおもしろさがわかってきたかんじだったけど、その体験があったから 02 は前のめりに見て、半同期による他人の感想との対照の意識も持つことができたタイトルになった。具体的には、ネットでは作画崩壊トピックとして話題になった第七話において、「あんなのヴァイオリンじゃない!」と泣き叫ぶ幼バーディ、その姿をアニオタが作画崩壊と騒ぐ(≒「こんなのバーディじゃない!」)、という状況のおもしろさに思い当たったりした。あのとき描かれたバーディの反応は作画崩壊オタそのものだったし、バーサーカーは炎上の犠牲となりズタズタにされたのだ。…と、捉えなおしてみることは単純におもしろかったし、それだけではなくて、もうちょっと筋の通った読み方に通じていく視点だった。「当事者の心情の反映としての作画」という解釈は、Twitter での DATEX 氏
![鉄腕バーディ DECODE 02 関連 - 溶け合うメディアと記憶の話 - また君か。@d.hatena](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/cf592d18004ba70795024ab5ff7d378dfc7d115e/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fimg.f.hatena.ne.jp%2Fimages%2Ffotolife%2Fm%2Fmatakimika%2F20091019%2F20091019212932.jpg)