心に芽生えたもやもや 結婚しささやかな新居で生活するようになってまだほんの数日のある日、私は台所でサラダを作っていた。一方、夫は居間で新聞を広げて、くつろいでいた。絵に描いたように平和な、日曜日の午後だった。私の脳裏にもやもやとした疑問、割りきれなさが起こったのはそんな時であった。 「質実剛健」「良妻賢母」「やまと撫子」という言葉にあこがれ、結婚したら、仕事に行く夫を三つ指ついて送り出し、外で7人の敵と戦う夫のために、立派に家を守るのが当たり前と教えられて来た。若気の至りとは言え、愛する人といっしょにいられるならば、大学卒業後、始めたばかりの名門私立校の英語教師としての仕事を捨てるのも全く苦にならなかった。 疑問は単純であった。「大学時代は同じクラスで机を並べて勉強していた私達が、どうして今、私は忙しく食事の支度をしていて、夫はソファーにのんびりと座って、新聞を読んでいるのだろう?」 そし
保育園のころ、魔法を使える先生がいた。 その人のことを、ここでは「まこ先生」としよう。30代前半で、職場では中堅のスタッフとして活躍していた。もちろん当時の私はあまりにも幼く、先生たちの年齢をきちんと把握していたわけではない。「若い先生/大人な先生/おばあちゃん先生」……それくらいザックリした認識しかできなかった。子供ながらに「まこ先生は頼りがいのある大人の先生だ」と思っていた。 まこ先生は、私が5歳のときの担任だ。 私が通っていたのは公立の保育園だ。高所得家庭の子供だけが集まる(?)私立保育園ならいざ知らず、様々な境遇の親たちが子供を預けていた。 とくに私の学年には、近隣の悪ガキどもが集結していた。暴れる、噛み付く、ひっかくのは当たり前。おもちゃはすぐに壊され、床や壁は汚される。みごとに手のかかる子供ばかりだった。すり傷やたんこぶは日常茶飯事だったし、親たちもいちいち目くじらを立てなかっ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く