多くの若者たちの期待も虚しく、都知事選で家入一真氏は「大惨敗」をした。 家入氏に決定的に欠けているのは「人間は誰もが歳をとる」という肌感覚である。今は「若い」かもしれない。5年、10年経った時に、自分よりも5年、10年若い者達に席を譲るのだろうか?常なる「新陳代謝」を「公約」しただろうか?そうでなければ、現在の「革新政党」や「労働組合」が、「革新」という名称の「既得権益」であるのと、一体何が違うというのだ?? 「若い人」だけを集め、そこから「若くない人」を「排除」するという発想は、「公共心」「未来性」「創造性」のいずれにおいても欠けていたと私は思う。 このことは、例えば「社会的弱者」の支援活動などでも言える。「生活改善のために団結しよう!」と「社会的弱者」に呼びかけ、一部の「弱者」が集まり団結し声を挙げたとする。しかし、その瞬間に、その「団結」の「輪」からは「排除」されてしまう、さらに孤独