German_ninjaPのブックマーク (5)

  • 五輪の終わりと嘘の社会 - メロンダウト

    五輪が中止になるのか強行されるのかが大変話題になっているけれどコロナ以前にもすでに五輪反対の声は根強かったことを思い出す。競技場の建設費及び現場監督者の自殺、エンブレムの問題、東京湾がうんこまみれ、猛暑対策として打ち水、想定よりも膨れ上がった予算、IOCの金満体質など。コロナ以前からすでに問題だらけだった。それらを逐一あげつらってもしょうがないので言及はしないけれど、総体として五輪を見た時にそれを否定する方向に向かうのが日の諸問題と連関している気がしてならない。かなりこみいった話で言語化できるかわからないが、すこし書いていきたい。 そもそも我々が考える豊かさとはなんだろうか?経済的に余裕があることを豊かさだと言う人、多種多様な文化を享受できる環境を豊かさだと言う人、人間関係が開かれている社会を豊かさだと言う人など様々あるが、これらすべてに共通していることは「個人の裁量において個人が自由に

    五輪の終わりと嘘の社会 - メロンダウト
  • マキャベリストに利用される池江璃花子さん - メロンダウト

    池江璃花子さん周りの話を見ているとかなりモヤモヤしてしまう。 「人殺しの顔をしろ」とかは黄金頭さんの物語が背景にあったからこその言葉で、単独で使っていい言葉ではない。ある種のルサンチマンが背景に認められるからこそ抑圧的な社会にたいしての言葉として使えるのであって、単独で使うと単なる暴言として取られかねない。「君の膵臓をべたい」と言っても知らない人には単なるカニバリズムでしかないわけで。保育園落ちた日死ねも同じで、文脈としては機能しても単独で使った場合にその意味を失う言葉は数多くある。池江さんがはてな民であれば「人殺しの顔をしろ」の意味が通じるかもしれないけど、まずもってそんなことはないですし。 五輪周りの話題を見ているとそういう個人の物語と社会的な議論がゴチャまぜになった話がすごく多い。池江さん個人は個人でしかない。ましてや彼女は20歳の若者であり、社会的な議論の神輿に祭り上げられるの

    マキャベリストに利用される池江璃花子さん - メロンダウト
    German_ninjaP
    German_ninjaP 2021/05/23
    マキャベリズムと呼んで良いのかが疑問だが、まさしくコレ。しかし政治経済要素を除外五輪の意義ってもう原点の宗教的意義以外に万人のコンセンサスを得られにくい以上避けられないのでは。
  • リベラルアーツを学ばないと、「そもそもオジサン」になってしまう。 - BIZPERA(ビズペラ)-ビジネス書評はペライチで

    「そもそも」 このキーワードの破壊力は凄まじいですよね。 「そもそも」が議論にもたらす効果は、極論すると次の2点。 誰もが常識だと思い込んでいた固定観念を打ち砕き、ブレイクスルーにつながる どうでもいい論点をほじくり返されて、これまで積み上げてきた議論がぶっ壊されて、スタートに戻る よく目にするのは2のパターンですね。 権限や発言力がない人が「そもそも」と的外れなことを指摘してきても、特に問題ないのですが 〇〇部長みたいな人から同じ指摘をらうと、ザワザワと慌ててしまう人も少なくないと思います。 もちろん、「それはどうでもいい論点です(キリッ)」と言い返して、〇〇部長を抑え込むべきでしょ、という意見もあるでしょう。 しかし、誰もがそう強く在れるわけではありません。 偉い人から「そもそもさ~」と問われると、たとえそれがどうでもいい論点であっても、たいていの人は慌てふためくはずです。 そんな「

    リベラルアーツを学ばないと、「そもそもオジサン」になってしまう。 - BIZPERA(ビズペラ)-ビジネス書評はペライチで
  • 「運動にコミットすることは適応度を下げるのでミクロでは不合理」・・・ - メロンダウト

    これなあ ミクロな話をするとマジで自助努力以外にやれることは何もないです。マクロな話をすれば富の偏在に対抗する運動などがあるかもしれませんが、基的に運動にコミットすることは適応度を下げるのでミクロでは不合理になります。 https://t.co/iiCp5V3pyp — 小山晃弘 (@akihiro_koyama) 2020年9月10日 実際その通りなんだよな。政治的なことを考えて発信することほど無意味なものはないと常々思っていたりする。最近話題の銀英伝風に言えば戦術レベルで詰んだ時にのみ戦略レベルの主張をすることに価値がある。宮台真司さん的に言えば日がどんどん衰退していって戦術レベル(適応)ではどうしようもなくなった時に戦略についてみんなが気で考えるようになる。それを加速主義と呼んでいたりするけれど結局、分水嶺を越えなければ何も変わらないのはその通りだと思うし、政治も適応の話に過ぎ

    「運動にコミットすることは適応度を下げるのでミクロでは不合理」・・・ - メロンダウト
  • 「女性から教育を奪えば出生率があがる」という駄論について - メロンダウト

    最近、ツイッターで「女性から教育を奪えば出生率が改善に向かう」的なツイートを見た。少子化に限定して言えば家父長的なモデルを復権して女性を生む機械にすれば多少なり解決に向かうだろうけど・・・そもそもそんな社会で誰も生きていたくないでしょう。女性に限らず男性も。生まれてくる子供が女の子だったらどうするの?で終わる話でしかない。そんな簡単な想定すらも無視し、人間を駒として配置するような愚論であろう。 人権にもとるので唾棄すべきなのは間違いないけれど、このような過度に論理的な考えはそもそもの社会的前提を考慮していないんですよね。 女性から教育を奪えば出生率があがると言う人の背景にあるのは「女性は上方婚指向が強いために少数の強者男性に集まるのでマクロな人口動態においてはマイナスに働く」というものである。さらに、「パワーカップルと呼ばれる人達は結婚を通じた経済的格差の解消に寄与しない。そのため、女性か

    「女性から教育を奪えば出生率があがる」という駄論について - メロンダウト
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