⇒小谷野敦さんに実名を晒された件/および匿名と顕名の擁護 - 荻上式BLOG 所謂「ウェブの議論におけるコンセンサス」を、関知しない、認めない、という立場はあるだろう。「言責」という概念が社会的に問われて然るべき、という立場も。アカデミズムにおいて、また言論人において、その通りである。言論人とは、(御本人の言に拠るところの)「コントラヴァーシャルな議論」を行う社会的な発言者の謂。「ネット社会」は社会ではない。そうなのだろう、文化庁もそういう見解であるよう。「単著」の出版が分水嶺であったのだろう。 「単著」を世に出す、ということは、「子供が遊ぶ砂場」⇒ネットの言論はクズ - finalventの日記 たるはてなに留まることなく、社会的な発言者にして言論人として在る、ということ。にもかかわらず、自身の社会的な所在を発言に際して明示しないことは、言論人として無責任なり、という論理、なのか知らん。