これに対し、横浜支社広報室は文書で回答し、「乗車を拒否する意図はなかった」と強調した。具体的なやり取りは以下の通り。 ――小田原駅員が伊是名さんに対し、いったん「案内は15分後にするので、そのころにいらしてください」と言ったのち、「来宮駅は階段しかないのでご案内できない。熱海まででいいですか」という趣旨の発言をしましたか。 小田原駅で、お客さまから来宮駅で降りたいという要望がありましたが、来宮駅はバリアフリー設備がなく階段のみであり、かつ管理駅である熱海駅からのお手伝いも即座に手配ができない状況だったので、「来宮駅では降りることができません。熱海駅でしたら、その後の交通手段が見つかるかもしれません。」という旨をお伝えしました。 ――これに対し、伊是名さんが駅員を集めて車いすを持ち上げ、階段を下りて欲しい旨伝えたところ、「熱海駅はそのような対応をしていない」と駅員が答えましたか。 当社では、
はて、僕がこの件に関わる理由とは「一般の障がい者」と「件の彼女」を切り離そうとしてる事なのだろうかと再考し整理してみた。 (このツイは『「件の彼女」と「一般の障がい者」を分けて論じ「件の彼女」が悪く「一般の障がい者」は悪くないという論立てをしてるのかい?という問いだろう。) 厳密には違うなぁ 当然「件の彼女」と「一般の障がい者」に違いはあり違いはない。 「伊是名」なという人格と【障がい者】という《状態》も違いあり違い無し。だが一般論として 人格と状態は分けて考えるべき。 【障がい者】だからといって人格者/聖人である必然はなく健常者同様に様々な個性を持つ — ホイル【状態】ゴキゲン (@dabadatw) April 6, 2021 若干【抽象的な前提】を用いたが、 ①「件の彼女」も「一般の障がい者」であり又、立場では「一般の障がい者」とは違う面も有しているだろう。 ② 人格と身体は別個では
新聞でも雑誌でも、もちろんテレビのコメンテーターなどでも、いずれメディアの舞台においてはとにかく「誰でも言えるやろこんなん」という範囲での、言わば定型ばかりが垂れ流されている。ひとりひとりその発言の主体は生身として別の個体であったとしても、発されることばやもの言いはあらかじめ打ち合わせたかのようなある範囲におさまっていて、その範囲内での順列組み合わせのような平板さ。それこそ、Twitterなどにおけるbotみたいなものです。*1 単にそういうステレオタイプ程度のことを伝えるのがメディアの仕事と思われている現実が世間の側にすでにあり、だからこそ、そこに勝手に同調してゆく書き手や送り手の側があり、さらにまたそれらの環境に最適化している読み手の最大公約数のニーズもあり、といった三方入れ子の共犯構造みたいなものがすでに成り立っているからこそのこのような事態、ということがひとまず言えそうです。 もち
「新人類」の「老害」化、のこと、再び。 自分も40代手前で「あ、こりゃこのままいったらえらいことになる」と痛感して勤めを辞めたが、「上の世代」(いわゆる団塊とその直後くらいが主標的)とつきあいながら事態を好転させてゆく目算がまるで持てなかった分、「下の世代」(主に団塊ジュニア界隈)への信頼や期待は無条件に地続きだったかも。 「これまでの世代と違う」という世代的自意識なり自覚みたいなものは、自分たちのみならず「下の世代」に対して当時は無条件に地続きだったんだろう、と。で、それは「戦後」の「若者」信仰の構造とも基本的に地続きだったらしいんだが、それはその頃には当然まだ気づかれることもなかったわけで、な。 辛抱して踏みとどまって「上の世代」とつきあいながらそれぞれの現場を維持し守ってきた同世代はその後、50代になってからいきなり組織なり職場の側からハシゴを外され始めたりしたわけで。と同時に「下の
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