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生に関するIWAKEのブックマーク (7)

  • 10年前に首を吊ったことがある

    失敗したというか、そもそも成功するかどうかわからない雑さだったので生きている。 それは気で死ぬ気ではなかったのでは、と思われるだろうが、後にも先にもあんなに「死」に取り憑かれたことはないし、当に病的に死ぬ気だったのだと自分ではわかる。 当時の自分は、社会人一年目で、新卒の人間も自分の他に一人しかおらず、あまり職場に馴染めず々としていた。 こう書いてしまうとさもありなんと思われるだろうが、それ自体は別に死ぬほどのことではなかった。 仕事の代わりに趣味が充実していたし、楽しいこともいろいろあったし、明確なパワハラがあったわけでもない。 なんとなく職場のことは好きではないが、やってることはまあ嫌いでもなかった。 なかったのだが、色々なストレスが自覚もないまま積み上がっていたらしい。 とある連休の折り、地方住まいの両親が会いに来てくれた。 事の席で珍しく酒を飲み、少々酔い、気分良く話してい

    10年前に首を吊ったことがある
  • コロナ禍による実験動物の大量処分の記憶

    タイトルそのまんま。 もう何週間か前の話だが、忘れないように書き残す。 自分はとある生命科学系の研究所に所属しており、実験動物としてマウスを飼っている。 コロナ禍で彼等を大量処分することになった。まさか動物が感染したとかそんな話じゃない。研究所の飼育管理の方々がいつ今回のウイルスに感染するかわからない。出勤日を減らさざるを得ない。 我々も状況は同様だ。陽性となればしばらくは軟禁だ。周囲が罹っても軟禁だ。 今までの飼育規模の継続は人的資源の面でのリスクが高い。それから、より根的に、コロナ禍で出来もしない実験のために動物を飼っておくべきではない。 だから当のギリギリまで減らす。 何匹も何匹も何匹もマウスを処分する。 たくさんの遺体が目の前に折り重なる。 抜けた毛が手袋に付く。 遺体の山から流れる失禁した尿を洗い流す。 小さいビニール袋に1袋につき20匹ほど入れ、ずっしりとしてまだ柔らかくぐ

    コロナ禍による実験動物の大量処分の記憶
    IWAKE
    IWAKE 2020/05/29
  • 子どもが知的障害者になった

    健常者だった2歳の息子が、病気の後遺症で知的障害者になった。 ことの始まりは熱性痙攣。子どもを持つ親だと聞いたことくらいはあるだろう。 熱が急激に上昇し、目が虚ろになって痙攣していた息子を見て「あ、これが熱性痙攣というやつだな」と冷静に判断することが出来た。 念の為に動画を撮っておくといいらしいということも聞いていたので慌てず動画を短時間撮影し、落ち着くのを待った。 だが全く収まる様子がなく、話に聞いていたのと少し違うように感じ始め、そして少し動揺しつつも救急車を呼んで病院に搬送された。 病院についてしばらくしてから痙攣は収まったものの意識が混濁している様子が続き、ほとんど意識がないまま夜を越した。 先生から話を聞くと急性脳症などという病気の疑いがあるらしく、何やらステロイドを使った治療を進めたいとのことでやってもらうことにした。 半月ほど、意識もほぼ無く事も摂れず一日中たくさんの点滴を

    子どもが知的障害者になった
    IWAKE
    IWAKE 2020/05/25
  • メンヘラがODで自殺未遂して地獄を見た(地獄編) - 現金満タン、ハイオクで。

  • 1歳児衰弱死、逮捕された母親の実父が激白「長女の旦那と次女が肉体関係を持った」 - ライブドアニュース

    2018年5月29日 5時0分 by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 2017年に埼玉県桶川市で1歳児が衰弱死し、母親が逮捕された事件 容疑者の実父によると、容疑者の夫が妹と肉体関係を持ったことがあるという 「きちんと子育てできる心境じゃなかったんだろうね」と語った 「昨年、晴(はると)が衰弱死した日に救急車を呼んだとき、オレも立ち会ったのよ。娘夫婦の自宅マンションは玄関を開けただけでもクサかった。なにしろゴミが20〜30袋ある“ゴミ屋敷状態”だったし、子どもたちのオムツ、糞尿のツンと鼻をつくニオイもしたからね。 市の保健師さんは何度も家庭訪問してくれたそうだけれど、異変に気づかなかったなんて信じられない。他人のプライバシーを侵害すると思って、あえて口出ししなかったのかもしれないが、オレは正直に言ってほしかった。そうすれば晴も助かったはずなので、そこを怒ってるのよ」 娘のこと、少

    1歳児衰弱死、逮捕された母親の実父が激白「長女の旦那と次女が肉体関係を持った」 - ライブドアニュース
  • ぼくが自殺を決行した話をする

    今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。 当時、ぼくは20歳でニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生に絶望しながら生きてきていた。 ぼくはそのとき大学を中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分の人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強をしたことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験は成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生のほとんどを見下していたように思う。 大学に入ったときは「遊びま

    ぼくが自殺を決行した話をする
    IWAKE
    IWAKE 2018/11/26
  • 最期の朝のこと - はてこはときどき外に出る

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