学術系とは違う、直感的な思いつきシリーズ。 憎しみや哀しみに駆られている人を美しいと思うのは何故か。そのネガティブで混乱した思考に捕らわれて苦しみながら、彼が生きていること、あるいは死んでなおその思いに拘泥しつづけて在ること(幽霊)が何故か美しく思われる。ただ生きているだけでその人が美しいと言われる意味での美しさと、憎しみや哀しみの美しさとは違っている。ニーチェの『悲劇の誕生』でも読んで考えてみよう。 本家を自称し、少なくともそのゴッドファーザーであるフランスのシュルレアリスムではなく、その傍流・亜流、あるいは同時多発的な別の運動を考察することは、19世紀末からあとの広義の芸術を考察することとほぼ同じだろう。映画、ラジオ、写真、それらの狭義では認められない場合もある「芸術」的側面を拡大して理解していくこと。 NWOBHM以前、へヴィーメタルがときとしてハードロックと「HR/HM」と同列にお
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