今から50年前の1972年1月、佐藤栄作首相とニクソン米大統領は、日米首脳会談で、沖縄の施政権返還の日付を「5月15日」とすることに合意した。 実はこの時、日米首脳会談とは別個に、福田赳夫外相とロジャーズ米国務長官との会談が行われ、本土の米軍基地に関する重要な取り決めが交わされていた。 関東平野の米軍基地の大部分を整理し横田基地に統合する、という大がかりな返還計画である。 米海軍が那覇基地に配備していたP3C対潜哨戒機の移転問題も取り上げられた。福田外相は、本土に移転すれば政治的問題を引き起こすと指摘し、沖縄の別の基地に移転するようロジャーズ長官に要請したという。 返還後も沖縄の米軍基地はほとんど減らなかったのに対し、本土の米軍基地は、「関東計画」の実施によって急速に減少した。 その結果、本土と沖縄の米軍専用施設の面積比率も逆転する。約7割が沖縄に集中する現実は今も変わらない。 復帰前年の