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ネタと歴史に関するKIKUKOのブックマーク (2)

  • 個人的ネットミームまとめ(改訂版)

    anond:20230806015455を改訂しました。 追記内容のまとめ・8/6の01:54 元増田を投稿した時からの記載→注釈なし ・8/6~7 元増田を一部修正した記載→【前回追加】表記 ・8/9の00:44 この増田を投稿した時からの記載→【今回追加】表記 ・8/9の13:00頃まで この増田を一部修正した記載→【今回追加2】表記 ・8/10の01:00頃まで この増田をさらに修正した記載→【今回追加3】表記 まあ、ここまで区別しなくてもとも思ったけど、 頂いたコメントを活かして作ったという性格上、この辺はある程度書いた方が不義理にならないかなと思って、こうしました。 なお、更新はここで打ち切ります。だらだら更新されても、見る側もつらいかと思います。この辺が引き際。 (僕はあとは基オフラインでやります。なお、ブコメはあと一週間くらいは見続けると思います。) どうしても続けたい方が

    個人的ネットミームまとめ(改訂版)
  • 坂上田村麻呂黒人説 - Wikipedia

    菊池容斎の描いた坂上田村麻呂。19世紀に描かれたものであり、当然ネグロイドの特徴は見られない。 坂上田村麻呂黒人説(さかのうえのたむらまろこくじんせつ)は、平安時代の武官であり、征夷大将軍として蝦夷征討に功績を残した大納言坂上田村麻呂が黒人だったという風説である。遅くとも1911年には北米において発生していた。この説は説得力のある証拠を何一つ提示できなかったにもかかわらず[1]、おもに黒人の学者のなかで21世紀に至るまで引用されており、古代日におけるネグロイドの存在を証明するものとして考えられていた。 通説[編集] 『続日紀』延暦四年(785年)六月の条によれば、田村麻呂の父である坂上苅田麻呂は、自身の祖先である、東漢氏の祖・阿知使主について、後漢の霊帝の曾孫で、東方の国(日)に聖人君子がいると聞いたので帯方郡から「七姓民」とともにやってきたと述べたとある[2]。 黒人説の展開と受容

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