国書データベース ※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA) 【原文】 助《すけ》と言ふ者なり。 慶長《けいちヤう》年中に絹川《きぬがハ》にて沈《しづ》め殺《ころ》されしが、此の度《たび》、累《かさね》が往生《わうじヤう》セし事をうら山しく思ひて来れり」 と言へバ、村《むら》の老年《らうねん》が曰《いは》く、 「其れは累《かさね》が兄《あに》なり。 其の者の母《ハゝ》、助《すけ》を他所《たしよ》にて産《う》ミ、六歳の時、此の村に嫁《か》し来れり。 然《しか》るに、継父《けいふ》、助が生まれ付《つ》き悪《あ》しきを否《いな》ミて、『佗《た》に育《ヤしな》ハセよ』と一向《ひたすら》に云《い》ひしかば、母《ハゝ》、 『此の子、醜《ミにく》く生まれ、我だに鬱悒《いぶセ》く思ふに、誰人《たれびと》が育ひ侍らん』 とて、絹川《きぬがハ》に連れ行きて、終《つゐ》に沈《しづ》め殺《ころ》しつ。 其《そ》
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