「繋がりの社会性」は繋がりを指向しない 仕事中だったのだが, 出し抜けに上記のフレーズが涌いて出た。 嗚呼, そういうことだったのか。 繋がりの社会性 結局ケータイや mixi などで多くの人が行っているコミュニケーションは「誰と繋がるか」ではなく「どの程度繋がっているか」に価値をおいている。 だから, 極端なことを言えば繋がる相手は誰でもよくて「より強く繋がっている」と感じられればそれでいいわけだ。 セックス嗜癖(Sexual Addiction)もそんな感じ? 更に言えば, 「強度」さえ満たしていればいいのだから相手は人である必要もない。 いつでも楽しくおしゃべりできるのなら相手がシステムそのものだっていいんじゃないのか。 例えば人口無能とか。 最近は違うかもしれないけど, ケータイのアドレス帳に載せている「友人」の数や mixi におけるマイミクシィや参加コミュニティの数を競う行為な