こんな話がございます。 天竺の話でございます。 成道して仏となられた釈尊の弟子に、提婆達多(だいばだった)という奸物がおりました。 この者は多聞第一として知られた高弟、阿難(あなん)の兄でございます。 ふたりとも、元をただせば釈尊の従弟でございますが。 同じ従弟でも、提婆達多と阿難では、陰と陽ほどの違いがある。 提婆達多という男は、生きながらにして無間地獄に堕ちたと伝えられております。 単に釈尊の教えに反したからというのではございません。 釈尊を殺害することによって自らが仏となろうという、誤った考えを抱いたからで。 後に唐の三蔵法師玄奘が天竺を旅しましたときに。 提婆達多が地獄に堕ちたという、その穴がまだ遺っていたとか申します。 さて、釈尊の元を離れた提婆達多でございますが。 摩竭陀国(まがだこく)は王舎城の阿闍世(あじゃせ)王子に取り入りまして。 その側近のような立場に収まっておりました