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怖い話に関するM451のブックマーク (6)

  • 瀬田の唐橋で渡された箱 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 平安の昔の話でございます。 美濃国の生津という地に、紀遠助(きの とおすけ)ト申す者がございまして。 とある縁から、京東三条の関白殿の屋敷に長年勤めておりましたが。 ついに暇をいただき、美濃国へ帰ることになりました。 その帰路に通り掛かったのが、名橋、瀬田の唐橋で。 これはヤマトタケルノミコトの父、景行天皇の御代に架けられたという。 由緒正しき古橋でございます。 さて、遠助が従者とともに馬でこの橋に差し掛かりました時。 ふと見ますト、橋の上に女が一人立っている。 衣の褄を取って、ただぼんやりとしております。 夜明け前。 空がようやく白み始めた頃。 瀬田川から立ち上った朝もやが。 橋を白く覆っている。 遠助は、チョット不気味に思いながらも。 知らぬ顔をして通り過ぎようとした、その時に。 顔も合わせず、ただ固まったように立っていた、その女が。 不意に、首をこちらに回して

    瀬田の唐橋で渡された箱 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
  • 妲己のお百(五)峯吉殺し | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    (芸者美濃屋小さんに変じたお百。追ってきた桑名屋を誘い出して殺す) お百の新しい金づるとなった美濃屋重兵衛でございますが。 旅商人ゆえ、いつも家を留守にしております。 その分、お百は毎日を気楽に過ごしている。 だがそれも、旦那が金を持って帰ればこそ。 留守があまり長く続くと、自分が遊ぶ金がない。 お百は毎日座敷へ出てせっせと稼ごうというような。 殊勝な心がけの女ではございませんので。 そのうちに座敷へも出ず、方々から金を借り。 家にこもって酒ばかり飲むようになった。 時は正月七日頃。 朝から雪がちらほら降っている日で。 お百の小さんはひとり三味線を爪弾きながら。 小唄を唄い、銚子を傾けている。 ト、そこへ――。 「雪はしんしん 夜(よ)もその通り どうせ来まいと真ん中に ひとりころりと膝枕――」 どこからか聞こえてくる門付けの唄い声。 同じく女の声で小唄を唄っております。 病み上がりか、声

    妲己のお百(五)峯吉殺し | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
  • 美姉妹と背徳の赤い糸 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 よく、後に夫婦となる男女は、小指に赤い糸が結ばれているナドと申しますナ。 これはもとは唐土(もろこし)の言い伝えだそうでございまして。 月下老人ト申す神が、それをつかさどっていると信じられておりますが。 かの国では、足首に赤い縄を巻きつけることになっているト申します。 これでは歩きづらくって仕方がない。 朝では、天正から元禄頃にかけまして。 赤い打ち帯が流行ったことがございます。 これは、赤い組紐を帯にしたものを、男の家から許嫁に送ったもので。 もちろん赤い糸に掛けて、縁結びの意が込められているものでございます。 さて、時は元亀天正の頃。 群雄割拠した戦国の時代の話でございます。 越前国は敦賀の津に、浜田の長八ト申す長者がおりました。 この者には幼い娘が二人おりまして。 朗らかな姉娘は、その名をお朝(あさ)。 やや陰にこもるところのある妹娘は、名をお夕(ゆう)ト申

    美姉妹と背徳の赤い糸 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
  • 箱根関所 お玉ヶ池 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 よく、「入り鉄砲に出女」ト申しまして。 女が関所を通過するには、非常な困難が伴いますが。 もっとも厳しいのはどこかと申しますト。 それはやはり、東海道は箱根の関所でございましょう。 その関所の裏山に。 お玉ヶ池ト申す池がございまして。 元は薺(なずな)ヶ池と呼ばれていたそうでございますが。 どうしてお玉ヶ池と呼ばれるようになったのか。 その由来をこれからお話しいたします。 元来、関所と申しますものは。 手形さえあれば誰でも通ることができますが。 こと、女に関しますト。 それがそうもいかないのが難しいところで。 男が関所を通ります場合は、通行手形が必要となりますが。 これは町役人か菩提寺に頼めば、その場でサラサラと書いて渡してくれる。 ところが、女には女手形トいうものがございまして。 これを誰が書いてくれるかと申しますト。 幕府のお留守居役でございます。 ――急に敷居

    箱根関所 お玉ヶ池 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
  • 阿闍世王と釈尊 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 天竺の話でございます。 成道して仏となられた釈尊の弟子に、提婆達多(だいばだった)という奸物がおりました。 この者は多聞第一として知られた高弟、阿難(あなん)の兄でございます。 ふたりとも、元をただせば釈尊の従弟でございますが。 同じ従弟でも、提婆達多と阿難では、陰と陽ほどの違いがある。 提婆達多という男は、生きながらにして無間地獄に堕ちたと伝えられております。 単に釈尊の教えに反したからというのではございません。 釈尊を殺害することによって自らが仏となろうという、誤った考えを抱いたからで。 後に唐の三蔵法師玄奘が天竺を旅しましたときに。 提婆達多が地獄に堕ちたという、その穴がまだ遺っていたとか申します。 さて、釈尊の元を離れた提婆達多でございますが。 摩竭陀国(まがだこく)は王舎城の阿闍世(あじゃせ)王子に取り入りまして。 その側近のような立場に収まっておりました

    阿闍世王と釈尊 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
  • 沢の怨霊の片棒を担ぐ | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 唐の国の話でございます。 昔、張禹ト申す勇猛な武将がございまして。 旅の途中で、大きな沢のほとりを通りかかりましたが。 一天にわかにかき曇りまして。 昼間というのに辺りは夜のように暗くなる。 今にも大雨が降り出しそうな、重苦しい空模様で。 沢の向こうに大きな屋敷が聳えている。 張禹はそれに気が付きますト。 濡れ鼠になっては面倒だト。 降り出す前に、門へト駆け込んでいきました。 屋敷の門はちょうど開かれておりましたが。 張禹が駆け込んでくるのを見て、下女が驚いて用件を問う。 「軒先で構わぬ。雨宿りをさせてもらいたい」 大男が実直そうにそう申しますので。 下女はとりあえず主人に取り次ぎに行きました。 しばらくして戻ってきた下女は、一転、にこやかな笑みをたたえている。 「どうぞ、軒先とおっしゃらずに中へお入りくださいとのことでございます」 ト、張禹を案内していきました。

    沢の怨霊の片棒を担ぐ | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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