牟田口を貶める逸話 2018年7月、筆者は初の牟田口廉也の評伝である『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』(星海社新書)を刊行した。牟田口は、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)下の1944年3月に始まったインパール作戦を計画実行した人物として知られる。 牟田口廉也。森千鶴氏提供。 インパール作戦は、わずか1ヶ月の期間内にビルマ(現ミャンマー)からいくつもの峻険な山々を踏破して、インド北東部の都市インパールに攻めこむというものであった。牟田口は、第十五軍司令官として作戦部隊と統括する立場にあった。その牟田口が立案した作戦計画は、後方からの補給を軽視したきわめて杜撰な計画だったことから、多くの日本軍将兵がインパールにたどり着く前に命を落とした。そのため、こんにち牟田口は、惨憺たる結果に終わったインパール作戦を指揮した「愚将」という不名誉なレッテルが貼られている。 しかし、インパール作
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