タグ

死に関するMINiのブックマーク (5)

  • 私がこの部屋のなかで腐乱してゆくことについて - 傘をひらいて、空を

    腐乱死体になるのが怖いと彼女は言う。離婚を考えていると話して、そこからほとんどひといきに、でも将来孤独に死んで誰にも発見されずに部屋で腐るのがいやだと言う。 私はその話にいまひとつ乗れずに、腐乱したってまあいいじゃないと言う。だって死んだら意識はないんだから、焼かれる前にちょっとばかり腐る時間があっても自分ではわからないでしょう、もちろん生きているうちにそれを想像するとぞっとしないから、確率としてそれが起こりにくいようにしておくのが望ましいとは思うけれども。 死ぬのは怖い。もちろん怖い。けれども腐乱することについては、怖くなるまで想像が及ばない。死ぬのは怖いというところで、私は止まる。死の怖さは特別な怖さで、それが確実に自分の身に起きるということを緩衝材なしに認識しなおすと、ほかの何とも似ていない恐怖がすみやかにやってきて、私の心のリソースを根こそぎ奪ってしまう。私はそこから先に一歩も進む

    私がこの部屋のなかで腐乱してゆくことについて - 傘をひらいて、空を
  • 精神的に参っていた頃のこと。 毎日鬱々と過ごしていて、あの日は駅で電車..

    精神的に参っていた頃のこと。 毎日々と過ごしていて、あの日は駅で電車を待っていた。 電車に飛び込んで自殺する人ってたまに居るよなあ、あんなでかいものに轢かれれば確実に死ぬよなあ、そういや飛び込むときって助走つけたほうがいいのかな、でもタイミング合わせるのが難しいな、ってことはやっぱり水泳の飛び込みみたくホームの端でスタンバイしておくほうがいいんだろうか、それとも先に線路に降りるべきかな、などと考えていた。 それから、つらいことを色々と考えていると、死ぬということがたまらなく魅力的に思えてきた。 急に、自分でも信じられないくらいテンションが上がってきた。 自ら命を絶つ? おいおい、はっきり言って、そいつはナイスアイデアだぜ。 何で今まで気付かなかったんだ、俺は。 そうだよ、毎日つらいのが終わりになるし、誰かに迷惑かけるのもこれっきり。 電車に轢かれるなら即死だろうから、そんなに痛くもないだ

    精神的に参っていた頃のこと。 毎日鬱々と過ごしていて、あの日は駅で電車..
  • 「死ぬときに後悔すること」ベスト10

    余命、数週間。不自由な体、満足に歩くこともできない。日中も寝ている時間が多くなり、頭もうまくはたらかない ──そんな人生の最終章の人に向かって、こう問いかける。 いま、後悔していることは、何ですか? 「死ぬときに後悔すること25」の著者は、終末期における緩和医療に携わる医師。現場で見聞した、「余命いくばくもない状態で、後悔すること」をまとめたのが書なのだ。得られた答えは、多様でいて一様だし、複雑なようで単純だったりする。 もうすぐ自分が死ぬと分かっている人が、何を悔いているのか。これを知ることで、わたしの人生で同じ後悔をせずにすむのだろうか。考え考え読んで、いくつかの「先立つ後悔」を得ることができた。後悔は後からしかできないものだが、これはわたしにとって「先悔」となるものを、ランキング形式でご紹介。書では25章に分かれているが、わたし流にベスト10に絞ってみた。 第10位 健康を大切に

    「死ぬときに後悔すること」ベスト10
  • 長期脳死、本人の意思表示@参議院での発言 - kanjinaiのブログ

    てるてるさんが、参議院厚生労働委員会7月7日の私の発言をまとめてくださいました。以下に貼り付けます。(細部の確認はネット中継をご覧ください) 参議院中継を実際にご覧になる方はおそらく少ないでしょうし、新聞などのメディアもほぼ報道しません。残るルートは、ネットだけです。コピペ自由です。 森岡正博 わたしは、衆議院提出B案の原案となった、いわゆる森岡杉案の提唱者のひとりでございます。 内容としましては、おとなについては現行法のまま、 こどもについては、こどもにも意見表明の機会を与える、という案であります。 参議院におきましては、個人的には、E案に親近感を抱いております。 きょうはおもにA案に対して疑問点を述べさせていただきます。 まず第一点でありますが、これは親族優先提供であります。 A案の親族優先提供の条項は、削除すべきであると思います。 たとえば英国では、提供先の指定はガイドラインで禁止

    長期脳死、本人の意思表示@参議院での発言 - kanjinaiのブログ
    MINi
    MINi 2009/07/08
    "この迷う自由を人々から奪ってはなりません。 迷う自由を保障するもの、それこそが、本人の意思表示の原則であります。 "
  • こりゃPTSDになったかもなあ

    少し前に曾祖母が亡くなった。享年102歳。俺を含む親類縁者に見守られ、自宅の寝室で眠るように逝った。今時珍しい大往生だったと言えるだろう。通夜、葬儀と滞りなく終わったが、問題はその後だった。火葬場での出来事だ。 祖母のお骨を骨壺に収める際、何を思ったが従姉(お袋の姉の娘)が娘(小学一年生・俺からみれば「従姪」)をその場に立ち会わせたのだ。 俺と両親は「やめておいた方がいい」と事前に何度も告げたのだが、従姉夫婦はいっこうに聞き入れず、これから何が始まるのかもよく分かっていないであろう我が娘に「大丈夫だよね?」と尋ね、娘もそれに頷くばかりで結局押し切られてしまった。 何せ直前まで高温に晒されていた物体である。お骨のみならずそれを乗せている台もかろうじて触れられる程度に熱を持っており、それほど広くない締め切った部屋には独特の熱気が充満している。そして部屋の中央には紛れもない物の人骨。いくらなん

    こりゃPTSDになったかもなあ
  • 1