「生物は進化の過程で車輪を何故持たなかったか(可能性はあったか)、という話題(…)いつの日か私たちは生物そのものをデザインすることになるだろう。その時ための思考実験」(山中俊治) 追記:このまとめに興味を持たれた方はぜひこちらもご覧ください。「空気と飛行、重力、デザインについて 原研哉さんと山中俊治さんの対話を中心に」 http://togetter.com/li/141585
![生物は進化の過程で車輪をなぜ持たなかったか 山中俊治さんを中心とした会話](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/203d766c98a23401e9ddd1dfc4b5a5badb40dcdc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fb9e673dc10997a82c248fa14a15ce36e-1200x630.png)
「生物は進化の過程で車輪を何故持たなかったか(可能性はあったか)、という話題(…)いつの日か私たちは生物そのものをデザインすることになるだろう。その時ための思考実験」(山中俊治) 追記:このまとめに興味を持たれた方はぜひこちらもご覧ください。「空気と飛行、重力、デザインについて 原研哉さんと山中俊治さんの対話を中心に」 http://togetter.com/li/141585
・ハチの中でも社会性を持たない種は多いのに社会性を持つ種は複数の分類群に跨って存在します。このことから他の種では稀な社会性の獲得がハチの進化の過程では幾度も起こったと考えるのが妥当だと思われますが、だとするとなぜ何度も社会性の進化が起こったのですか? 昆虫界で社会性が独立に何度も起こったという考えは学会でも支持されています。それぞれの種の生活の中では独特の社会性が形成され、それはそれで独特のメリットと限界を含んでいます。 進化というのは一つの筋で進行しているのではなく、日和見的でご都合主義で、部分的であると思います。社会性は間違いなく新しい可能性を付与するが、単独性の方が優れたときもあるのです。そうすると、いったりもどったり、とまったりということが往々にして起こります。これが、社会性が独立に何度も起こる理由と考えられます。
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