スペイン人・ジャーナリストのカルメン・グラウ・ビラが、映画監督・小津安二郎の晩年の作品を生み出した地・蓼科を探索した。小津は、脚本家の野田高梧と共に作品を作りながら、自然に囲まれたこの地で多くの日々を過ごした。 世界中がコロナ禍に見舞われていた2020年夏、私は都会の「密」と猛暑から逃れるように、八ヶ岳の麓にある蓼科高原にしばらく滞在した。世界の映画人に影響を与えた監督として小津安二郎の名前は知っていたが、蓼科が小津の所縁(ゆかり)の地だとは知らなかったし、その時点では、私が観たことがあった小津作品は『東京物語』の一本だけだった。ましてや、自分が小津安二郎のことをこれほどのめり込んで取材するようになるなんて、思ってもいなかった。 蓼科の森の中の小道が、小津と脚本家の野田高梧との友情物語へと私を導いてくれたのだ。小津が毎日のように通った一本桜の存在を知り、小津監督の甥(おい)を知人から紹介し