詩を作ることを生業(なりわい)として70年 日本を代表する詩人の一人、谷川俊太郎(たにかわ しゅんたろう)さん。教科書で作品に触れたことがある人も多いのではないだろうか。米寿を迎えてなお、詩作や翻訳、絵本の制作等、精力的に活動を続けている谷川さんに、仕事への向き合い方や詩への思いなどを、区内にある自宅で伺った。 田んぼや畑に囲まれて育った子供時代 僕が生まれた1931(昭和6)年に、東京府豊多摩郡杉並町(現杉並区)に両親が家を定めて、そこからずっとこの場所で育ちました。小学校時代は、冬に凍った田んぼをまっすぐ突っ切って、尾崎(現杉並区成田西)の丘の上にある、杉並第二小学校(旧杉並第二尋常小学校)に通学するのが楽しかった。当時、家の周りは広々とした田んぼや畑に囲まれていて、そういう景色はやっぱり良いなと思います。戦後に阿佐ヶ谷の団地(※1)ができる前は、ここから富士山が見えていたことも、よく
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