盾の会のメンバーとともに陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乱入し、東部方面総監部のバルコニーで演説する三島由紀夫さん=昭和45年11月25日 弱小組織のリーダー 「全共闘の連中には数え切れないほど殴られた。ただ、正直あこがれる部分もあった」 全共闘の先駆けともいわれる早大闘争がピークを迎えた昭和41年、後に新右翼団体「一水会」を創設する鈴木邦男さん(65)は政経学部の3年生だった。新左翼系の学生集会が数千人規模で行われるのを尻目に、わずか20人程度で細々と気勢を上げた新右翼グループを率いていた。 「左翼全盛の時代で右翼学生は1%もいなかった。議論の場はあったが、論破もされたし、暴力もふるわれた」 母親が信奉していた宗教団体「生長の家」の影響で、愛国心を大切にしたいという意識が強かったという鈴木さんは「そうでなければ考えもせずに、全共闘の側に加わっていたと思う。右翼か左翼かなんて最初の人間関係がきっか