島村英紀の「大正期の出版センセーショナリズム学」 1855年に江戸を襲った安政江戸地震の直後には、驚くほど多くの木版による大衆出版物が発行された。そのほとんどは、大衆が喜ぶセンセーショナリズムを煽る出版物だった。その中には多くの鯰絵もある。 そして、10万人以上の死者・行方不明者という日本史上最大の悲劇を生んだ1923年に起きた関東大震災のときも、震災関連の出版がおそるべき早さと量で、世に出された。 その出版物そのものにはここでは触れないが(これについては、たとえば島村英紀の論説などがある。将来はもう少しきちんと検証する予定。乞ご期待)、それらの本の最後尾にある広告を見るだけで当時のセンセーショナルな出版事情が垣間見える。 1−1:読売新聞はすでに当時から「部数が命」でした。 科学知識普及会というところが出していた一般向けの雑誌『科学知識』は、1923(大正12)年9月1日の関東大震