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オフトピックと家族に関するOhgyokuのブックマーク (2)

  • 武田邦彦 (中部大学): 幼児の死と日本の家族文化

    時に幼児の死が報じられる.その多くが親の虐待やそれに類するものだ。このようなことが昔から同じような確率で起こっていたような気もするし、最近、多くなったような感じもする. かつて、幼児を身売りして家族の生活の足しにするということも行われていたのだから、親が自分の子を大切にする程度は、「美しい話」だけではないことは確かだ。 でも、昔との比較はともかく、悲惨な幼児の死を少しでも少なくすることは大切なことだろう. 私は、いくつかの改善を試みたら良いのではないかと思う. ・・・・・・・・・ まず、第一に「子育て資金」を止めなければならない。 子育て資金が「幼児虐待」につながる理由は簡単だ. 1)   「子供を育てる責任は社会にある」という閣僚の発言は「親は子供を育てる責任はない」というのと同じ意味だから、多くの親の中には「ああ、そうか。子供を育てるのは煩わしいから、すこしいじめれば国が保護してくれる

    Ohgyoku
    Ohgyoku 2010/08/05
    なんかもう大学教授って肩書が安っぽくなってるなあ。
  • ひきこもる人を見捨ててはいけないか - Freezing Point

    「家を追い出す」という提案が現実味をもつためには、 ご家族や支援者に強制力のツールを与えなければならない。 現状では無理に追い出して死亡すれば刑事責任(遺棄罪)を問われかねない。 これは皮肉や当てこすりでなく、気で検討すべきこと。 「とにかく家を追い出せ、しかし死ぬことは許さない」というのは、排除のゲームとしても現実的ではない。 また全面受容の抱え込みは、不当であると同時に無理がある*1。 無縁社会であり、お互いの生死に関心がない。 「関心を持て」とか説教してもどうにもならない。 私は、単に社会保障に期待したり、単に諦めたりするのではなく、自分たち自身の取り組み方を模索している。 関連資料 「扶助を必要とする」の意義 A. 他人の扶持助力がなければ自ら日常生活を営むべき動作をできない(そのために生命・身体に危険がある)こと B. 他人の扶助がなければ生命に対する危険から身を守ることができ

    ひきこもる人を見捨ててはいけないか - Freezing Point
    Ohgyoku
    Ohgyoku 2010/04/09
    家族への復讐として(正当なものかは棚上げ)の死を容易に想像してしまった。そして実際あるのだろうと思う。
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