明るいいじめの思い出 セックスは汚くて、出産も汚くて、誕生日も汚くて、自分も汚い 「もともと綺麗だったのがますます綺麗になっていた彼女は、「そういう人」に、なるべくしてなったのかもしれない。」 普通は害悪かどうかはわたしにはわかんないですが、きっとこの筆者は害悪だと思っているんだろうと想像する。私はわかんないといったが、害悪ではないと思っているフシがある。ミソジニーだって普通の価値観である。でも今はわたしは職場でそいつと戦っている。自分の中のミソジニーと戦いながらだ。 セックス自体が汚らしい行為である、というところに行き着く。そして、そんな行為の結果としてこの世に生を受けた自分ははじめから穢れた存在であるという自己否定の苦痛が、ぼくを縛りつける。苦痛。苦痛。 「そんなこたないぞ楽しいぞセックス」「してみたら変化するんじゃない?」と言ってくるフォロワーもいる。そういうひとはこれまでにもたくさ