音楽的身体とそれによるパフォーマンスについて考察するにあたり、まず音楽の身体性について考えたい。本稿では主にロラン・バルトとデュレンヌの音楽=身体論を基礎として引用しながら、具体的なパフォーマンスをいくつか例として取り上げ、論を進めていく。最終的には演奏者の身体だけではなく、聴取者の身体について何らかの結論を得られることを期待しつつ、しかし、それが決して語り得ず、自らの音楽=身体が語り得ぬものゆえに隠喩となることを確認することになるだろう。 音楽=身体の言説 ロラン・バルトはテクストと音楽をめぐるいくつかの論考において、音楽について音楽で語るのではなく、分節言語で語ろうと試みた。そして、意味形成性の場である音楽のうちに指向対象としての身体を見出し、音楽=身体論を展開した。それは、科学的実証でもなければ、音楽学的な記述でもなく、隠喩的、文学的に語ろうとする試みであり、音楽テクストの快楽と欲望