新海誠最新作『天気の子』は身も蓋もなく言えば、「東京」の映画だ。「東京」と「新海誠」の関係は過去の作品群を振り返っても明らか。時に憧憬として、時に焦燥として、そして交差する場所として扱われている。もしかしたら、新海誠という人を映す鏡のような場所なのかもしれない。 『天気の子』の始まり方で印象的だったのも、じつはそれだ。アバンタイトル、病室で母親の横に座る陽菜が雨に濡れた窓ガラスに映り込み、その奥には東京の街と海、雨雲が広がる。 反射/映り込みをファーストシーンに持ってくる演出は、新海作品ではお馴染みと言える。『秒速5センチメートル』や入口を同じにした『言の葉の庭』、また『雲のむこう、約束の場所』にも同様のカットがあり、いずれも「東京」を舞台に"反射"している。 そこに映っているものはそれぞれの「東京」を象徴するものといっていい。だから予告(予報)にもあった陽菜のカットがアバンで使われている
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