島本和彦は、改造人間である ちまたで色んな作家論を見るけれど、「島本和彦」という作家について、真っ向から評論した文章というのをあまり見た覚えが無い。単に僕の読書歴が不足しているだけなのかもしれないが、もし本当にその視点が少ないのだとしたら、少々問題だと思う。 あるいは、島本和彦自身が優れたメタ分析能力を持っている作家であるがゆえに、評論家は同族臭をかぎつけて手加減しまうのかもしれない。 でも、作者自身のアバタがメタ視点で入り込んでしまうような、セカイ系の物語構造を紐解こうと思ったら、島本和彦のマンガが日本の「物語」に与えた影響は、考慮から外しちゃあいけないんじゃなかろうか? などということを、吼えろペンを再読しながら思った。 物語のボクとワタシ 一般の物語でも「作家自身の視点を背負ったキャラクタ」というものが、物語には大抵一人や二人登場したりする。 一番古典的で、今でもありがちなスタイルと