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社会と思想に関するProcyonのブックマーク (3)

  • なぜ若者は政治運動をしなくなったか - 狂童日報

    昔ちょっと問題提起だけしてそのままになっていたのだけれど、若干だけ考えがまとまったので書いてみたい。 (1)大学生の大衆化 若者の政治運動は昔から、というか世界的に見ても学生が主体である。学生運動が最も盛んだったのは明らかに1960年代だが、今と明確に異なるのは、その頃の学生は明確にエリートだったことである。少なくとも、「末は博士か大臣か」という周囲の期待を背負いながら受験勉強をしてきた世代である。「俺たちが将来の日をリードするんだ」という意識が強く、また周囲もそのように期待していた時代には、政治や社会の問題に対して敏感に反応し、かつ行動することがある意味学生の証であるようなところがあり、また学生が熱く語る怒りや理想にも有り難味が感じられたのである。 しかし1970年代以降、大学の進学率は20パーセントを超えて大衆化し、一流大学の卒業生もほとんど平凡なサラリーマンになることが当たり前にな

    なぜ若者は政治運動をしなくなったか - 狂童日報
    Procyon
    Procyon 2006/07/18
    今のエリート大学の学生は、自分がいかに普通であるかがステータスになっている気がする
  • 「難しい」ことが問題なのか - Living, Loving, Thinking, Again

    市民運動的なことを推進する人が敬遠されるのは、サヨク的なことがかっこ悪いとか怖いとか運動の重要性や主張の中身に疑問があるとかいうのもあるだろうけど、その人たちの「語彙」にも原因があるんじゃないかなあと思うことがある。そういう運動やってる人には当たり前の概念や知識が他の人には必ずしも共有されてないのに、共有されて(て)当然という前提で語っちゃうから、そこの時点で意味不明というか、偉そうというか… http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060428/p2 この引用はあくまでも取っ掛かりにすぎないのであって、以下ではkmizusawaさんを批判しようとするわけではない。枕にするだけというのは却って失礼か。 たしかに、「そういう運動やってる人には当たり前の概念や知識が他の人には必ずしも共有されてないのに、共有されて(て)当然という前提で語っちゃうから、そこの時点で意味

    「難しい」ことが問題なのか - Living, Loving, Thinking, Again
  • ララビアータ:左翼の言語戦略(1)

    拙著『読む哲学事典』(「保守主義と左翼」p−206)で、左翼と右翼の対立点を、主張内容の違いではなく、政治的対立についてのメタ認識の違いとして規定した。つまり、たとえば税制で、直間比率をどうすべきかとか、労働雇用契約で、労働市場の流動性を重視すべきか、それとも雇用の安定を重視すべきか、などの実質的内容の違いではなく、そのような対立を、政治共同体にとって外的なものと見るか、それともいかなる共同体にとっても何らかの対立が不可避のもの・内在的なものであると見るかの対立であると規定した。 すると今や、左翼にとって、その言語戦略を明らかにする事が、きわめて重要なものとなる。左右の違いは、何よりもそれぞれの言説戦略の形式の違いに鮮明に現われるからである。 (Heideggerを少々) 左翼の論争が、しばしば人格攻撃に及び、それが論争の基盤自体を構成する信頼関係を掘り崩してしまう結果、繰り返し不毛な分派

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