テルミン演奏というと鍵盤やフレットといった音の高さの基準がなく、自由に弾いていると思われているかもしれません。しかし私は、クローズドポジション位置といった音の高さの基準を常に意識して弾いていて、「自由」を感じる余裕などありません。 いつだったか、関東の偉い書家の先生方のパーティの場で演奏したことがあります。「貴方は右手も左手も大きく動かしていたにも関わらず、右肘はジャイロに載っているかのように、まったく動いていなかった」とのご感想を伺いました。右肘を支点にするような意識の持ち方は、書道も同じなのかもしれませんね。 自由に弾いているように見えたかもしれませんが、弾いている人間の意識としては不自由。では不自由に苦しんでいるかといえば否で、不自由の先に自由を見ています。際限のない自由は不自由と考えています。
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