父は1964年東京オリンピックへの出場歴があるカヌー選手・本田大三郎。プロサッカー選手・本田圭佑の実父は従兄弟にあたる。 父から「レスリングで優勝できなければ大相撲へ入門させる」と脅され、必死にレスリングの練習に励んだ。中学時代から自衛隊の練習に参加するなど、早くからレスリングの素質を見出された。日大在学時にロサンゼルスオリンピックレスリング・フリースタイル100kg級で5位入賞(高校・大学の同窓に小林孝至がいる)、その後自衛隊体育学校に特体生で入校[1]。 当時から異色な人物像で知られ、杉浦貴の言によれば「兵隊やくざ」と呼ばれていたという。3度のオリンピック出場や全日本選手権8度優勝など日本レスリングにおける最高の実績を持つ。当時を知る関係者が「多聞さんが普通に練習をしていたら、オリンピックでメダルぐらい楽に取れていた」と述懐する、ある種の天才肌。その技術力の高さから「アマレスの神様」と