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訃報と芸術に関するSouthendのブックマーク (2)

  • 蜷川幸雄さん告別式 俳優5人の弔辞全文 | NHKニュース

    薄れ行く記憶を呼び戻せば、芝居で出会ったのはあなたが40歳、私が42歳、三島由紀夫作、卒都婆小町の99歳の老女を僕が演じたときでした。千秋楽が近づき、この人とは長くつきあうだろうなという予感がしました。事実それから40年。不意なブランクの10年もありましたが、『王女メディア』『近松心中物語』『タンゴ・冬の終わりに』『テンペスト』『リア王』などなど、あなたと四つに組んだ17の芝居。僕の宝です。充実した演劇人生を生きることが出来ました。当にありがとう。 でもあなたは一度も僕の演技を褒めてはくれませんでした。シャイだと言うことは分かっていましたが、僕は何とかあなたから褒めことばを引き出したく、熱演に熱演をつづけました。肺を痛めてしまうまで。当はもう少し理知的に演じれば良かったかも知れません。でもあなた中の怒りと熱情に突き動かされ、僕の中のマグマが燃え上がってしまうのです。その火はまだ消え

  • asahi.com(朝日新聞社):清志郎「先生のこと歌に」… 「ぼくの好きな先生」秘話 - 社会

    ♪劣等生のこのぼくに すてきな話をしてくれた――2日に58歳で亡くなったロックシンガー、忌野(いまわの)清志郎(きよしろう)さんには終生慕う先生がいた。東京都立日野高校で担任だった小林晴雄さん(77)。初期のヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルになった。必ず闘病生活を乗り越える。先生と級友はそう信じてきた。  3日、都内で営まれた清志郎さんの通夜に、小林先生は参列した。ひつぎの中の教え子は穏やかな顔をしていた。「十分がんばってきたんだ。ゆっくり休め」。心の中で声をかけ、花を手向けた。  《十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました》  69年11月、朝日新聞にこんな身の上相談が載った。清志郎さんの母からだった。  「大学に行っても4年遊ぶんだから、4年は好きなことをやらせてあげましょう」。気をもむ母を説得したのが、小林先生だった。  清志

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