ファックコミュニケーションでは一転して、罵倒が親しみの挨拶として両者に認識されている。それを見て不快感や疎外感を覚える人はいるのだろう。どちらか一方と交流があれば尚更だ。しかしこうしたことはあらゆる人間関係で起こりうる。すべての人とまったく同じように接することは難しい以上、どういうスタンスでコミュニケーションを取れるか/取りたいかが、相手によって違ってくるのはやむを得ない。 ファックコミュニケーションでのやりとりは、自分が蚊帳の外にいながらも強烈な不快感を覚えて観察していた。良くあんな状態で誰も不快感を口にしないよなあ、と思っていた。 所謂罵倒芸と呼ばれるものも同様で、言われた側がどんなふうに感じているかとかは部外者には全然わからない。わかりようもない。観察している人間が「それは罵倒」「それはクネクネ」と分けられる類のもんじゃないだろう。 『罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそ