ブックマーク / number.bunshun.jp (44)

  • NBL、bjリーグに見るプロ化の壁。日本バスケット界の“市場規模”。(小川勝)

    NBLでも群を抜いた観客動員、スポンサー契約を誇るリンク栃木ブレックスの田臥勇太。地元との関係も密接で、日でプロバスケットチームを作る一つのモデルケースになっている。 プロチームと企業チームが混在するリーグの難点。 だがこうした活動は、プロチームであればまずフロント社員の仕事である。選手は毎試合、そのようなことができるわけではない。実際、トヨタ自動車東京の場合も、開幕2連戦のあとは観客数も例年並みに下がってしまい、1000人に届かない試合も多かった。 4月16日現在、NBL全12チームの平均観客動員を見ると、多いほうからリンク栃木(1940人)、アイシン三河(1729人)、三菱名古屋(1453人)、千葉(1439人)、北海道(1395人)となっている。トヨタ自動車東京は1322人で6番目だ(観客数は有料入場者数ではなく招待客も含めた数字)。 この中でリンク栃木、千葉、北海道は、親会社を持

    NBL、bjリーグに見るプロ化の壁。日本バスケット界の“市場規模”。(小川勝)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2014/04/23
     NBLの企業チームはトヨタ自動車、アイシン、東芝、三菱電機、日立と、世界的な大企業ばかりで、給料も高いし専用体育館も保持している
  • 男は黙って。根はそんな、古風。涌井秀章、無表情の裏の「情」。(中村計)

    ロッテに、2年総額4億4000万円プラス出来高で迎えられた涌井。先発にこだわる男が、新天地で完全復活を期す。 「カズさんに16番をつけて終わらせてあげたいな、って」 涌井は2008年オフに背番号を16番から、横浜高校の先輩でもある松坂がつけていた18番に変更した。'07年に松坂が渡米して以来、ずっと球団から打診され続けていたことでもあった。 変更に踏み切った理由を尋ねたとき、最初は「そこまでの理由はない」「気分転換っすかね」とはぐらかされた。しかし、しつこく聞いていると最後にこう吐いた。 「カズ(石井一久)さんに16番をつけて終わらせてあげたいな、って。16番のイメージが強いじゃないですか」 '08年に西武に移籍した石井は当時、2009年限りで引退するのではないかとささやかれていた。そこで、18番をつけたいというよりは、石井が愛着を持っていた16番を空けてあげたかったのだ。ただし、性格上そ

    男は黙って。根はそんな、古風。涌井秀章、無表情の裏の「情」。(中村計)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2013/12/25
    『ファイトクラブ』でブラッド・ピットがいつも言っていたことは、何でしたでしょうか。 “ファイトクラブの話をするな”。 “ファイトクラブ”を続けたかったら、他の人に話してはいけないということなのです。
  • 吉田麻也の“例え”はスベらない?『JIN』に、スーツに、ジョブズまで。(西川結城)

    代表の試合で、内田篤人らチームメイトと談笑する吉田麻也。このコミュニケーション能力は、彼の優れた1つの力であることは間違いない。 “粗着裏”ではなく、サビルローのスーツに。 日本代表、そして欧州でプレーする日人選手も“物”を目指す意識をさらに高く持つべき、という話題のときだった。 海外でプレーするだけで満足する時代は、もう終わった。ここからはどこまで世界トップの連中にらいつき、肩を並べ、さらには越えられるか。そんな考えを語っているとき、吉田が『JIN』のある場面に出てきたモノで、例えた。 「いま『JIN』を観ているんですけど、そこで思ったのは“粗着裏(あらぎうら)”ではダメなんだと。江戸時代に出回った“粗着裏”という着物があって。表の柄だけはきれいで、裏地は粗いというもの。でも来着物や服は表面、見栄えだけが良くても、裏地が全然しっかりしていなかったら、それはニセモノだと。外地も裏地

    吉田麻也の“例え”はスベらない?『JIN』に、スーツに、ジョブズまで。(西川結城)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2013/11/17
    でも本来着物や服は表面、見栄えだけが良くても、裏地が全然しっかりしていなかったら、それはニセモノだと。外地も裏地も良い素材にしていかないと、本物とは言えない。
  • 吉田麻也の“例え”はスベらない?『JIN』に、スーツに、ジョブズまで。(西川結城)

    代表の試合で、内田篤人らチームメイトと談笑する吉田麻也。このコミュニケーション能力は、彼の優れた1つの力であることは間違いない。 雑誌Numberの連載、吉田麻也「Survive ~日人DF 頂点への道~」。 Number Webでは、雑誌と連動したウェブオリジナル企画 「Survive PLUS ~頂点への道~」として、Number誌には 掲載されなかったエピソードや、取材の舞台裏などをお届けします。 第6回の今回は、サッカーとは少し離れた話題の中から、 吉田麻也の「例え話」にまつわる、その独特な思考法に迫ります。 10数年前、人気お笑いコンビのダウンタウンが出演する、日曜夜8時から放送されていたバラエティ番組があった。多くの企画モノやコントで人気を博し、いまでも根強いファンが存在している有名番組である。 その中に、『たとえ警視』というコントがあった。松人志扮する警察官が、取調室の

    吉田麻也の“例え”はスベらない?『JIN』に、スーツに、ジョブズまで。(西川結城)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2013/11/17
    吉田に本田圭佑がある作品を薦めてきた。「『JIN-仁-』あるやろ。あれはホンマに泣ける。絶対見た方がええ」
  • 勝ち負けや昇格だけが全てじゃない!JFLの“総統”が語るサッカー観戦術。(木崎伸也)

    対戦チームのゴール裏に乗り込み、“カギ”を片手に演説を行なうロック総統。かつては自ら株式会社ホンダロックで働きながら、週末に社員選手のプレーを応援していた。 資金繰りが厳しくなり、サポーターどころではなく……。 ロック総統は鹿島アントラーズのサポーターグループ最大手の“インファイト”に入り、地方の試合ではコールリーダーを任せてもらえるときもあった。 「お金がないからヒッチハイクで行ってね。そこそこ、根性を見せないとグループの中ではまともに見てもらえないんです。歌を作ったり、旗を作ったり。業が忙しかったけれど、まったく苦にならなかったです」 だが、ゴール裏の生活は思わぬ形で中断することになる。 電撃ネットワークへの注目が世界的にも高まり、'95年頃から積極的に海外公演を行なうようになった。当然、Jリーグの試合に行けるわけがなく、出席率は下がる。気がつけば、ゴール裏に自分の居場所はなくなって

    勝ち負けや昇格だけが全てじゃない!JFLの“総統”が語るサッカー観戦術。(木崎伸也)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2012/11/09
    。そのときレイトンの会長から「うちは昇格するつもりなんてない。そうしたらボコボコにやられて楽しくないだろ?」と聞かされていたのだ。昇格だけが、サッカー観戦の楽しみではない――。ロック総統の中に日本サッ
  • 勝ち負けや昇格だけが全てじゃない!JFLの“総統”が語るサッカー観戦術。(木崎伸也)

    対戦チームのゴール裏に乗り込み、“カギ”を片手に演説を行なうロック総統。かつては自ら株式会社ホンダロックで働きながら、週末に社員選手のプレーを応援していた。 「昔のJリーグって、下手なプレーを笑い飛ばすような雰囲気が あったと思うんですよ。でも、規模が大きくなるにつれて、 それがなくなってしまったような気がするんです。その理由は、 みんなが勝利至上主義になったからじゃないかと僕は考えてます」 ロック総統(ホンダロックSCサポーター) 世界中を見渡しても、こんな常識外のサポーターはいないに違いない。 日サッカー界の3部リーグにあたるJFLにホンダロックというクラブがある。自動車の鍵を製造するキーロックメイカー“株式会社ホンダロック”を親会社に持つ宮崎県の企業チームだ。基的に選手は同社の従業員。日常的にJリーグを見ているサッカーファンにとっても、知らない人の方が多いだろう。 だが、この地方

    勝ち負けや昇格だけが全てじゃない!JFLの“総統”が語るサッカー観戦術。(木崎伸也)
  • 2012年ドラフト会議を徹底検証。阪神の上手い指名を初めて見た!(小関順二)

    ドラフト1位指名の抽選で12連敗中だった阪神。「これは藤浪君の運ですね。甲子園のマウンドが似合う。チームは低迷しているが、新しいチームを作っていく、その一員になってほしい」とコメントした和田監督。 2012年のドラフトは見どころがたくさんあった。 ◇昨年強烈に巨人志望を打ち出し、日ハムの1位指名を拒否した菅野智之(投手・東海大在学)に複数球団の入札があるのか。 ◇甲子園大会の春・夏優勝投手の藤浪晋太郎(投手・大阪桐蔭)の指名で、何球団の1位入札が競合するのか。 ◇メジャーリーグ入りを表明した大谷翔平(投手・花巻東)に入札する球団はあるのか。 まず、菅野は単独指名になった。翌日のスポーツ紙は「巨人愛」「おじさん」という言葉が紙面を飾り、ヒューマニズムの押し売りのような様相を呈しているが、菅野個人の心情に思いを致せば、1年間御苦労さまと言いたい。長く試合から遠ざかっているので、紅白戦、オープ

    2012年ドラフト会議を徹底検証。阪神の上手い指名を初めて見た!(小関順二)
  • 香川真司と緋村剣心。~名優はマンUで輝けるか?~(芝山幹郎)

    映画の話をするとき、私はときどき香川真司を引き合いに出す。 一度は、ポール・ニューマンの位置取りを説明する際に、比喩として使わせてもらった。ニューマンはスターだが、生粋のストライカーではなく、むしろトップ下の1.5列目で面白いプレーをする俳優だ、という具合に。 最近では、『るろうに剣心』の佐藤健の殺陣を見て香川真司を思い出した。佐藤健が扮する緋村剣心は、細身で撫で肩なのに、めっぽう腕が立つ。敵役の吉川晃司や綾野剛が豪快さや妖気を振りまくのと対照的に、見た目や動きがとても柔らかい。なのに、剣心は速い。相手の動きを読み、するりと内懐に入り込み、いつの間にか敵を倒している。 もっとも、これは香川真司の理想像だ。マンチェスター・ユナイテッドに加入した今季、思いどおりのプレーができるかどうかは、やはり未知数というほかない。 ルーニーとのパス交換も、“想像力のひらめき”はさほど感じさせず。 というわけ

    香川真司と緋村剣心。~名優はマンUで輝けるか?~(芝山幹郎)
  • サッカー銅メダルを巡り日韓対決へ。“絶対に負けられない”韓国側の事情。(吉崎エイジーニョ)

    ホン・ミョンボ監督と韓国の選手たち。ライバル日との対戦、かつ兵役免除がかかる一戦であり、3位決定戦への思いは極めて強い。関塚ジャパンは、彼らの“覚悟”にひるまず戦うことができるか。 ホン・ミョンボは、日戦に備えブラジル戦を捨てた!? この厳しい戦いでは、プレミアリーグでプレーする長身FWチ・ドンウォン(サンダーランド)が活躍。左足で先制ゴールを決め、1-1からPK戦で勝ちを拾うゲームに貢献した。いっぽう、このゲームでは熱戦の代償としてオーバーエイジのGKチョン・ソンリョンと右SBキム・チャンスが負傷退場する痛手を負っている。 準決勝のブラジル戦では、0-3と完敗。しかし、むしろ圧倒的な力を見せつけられた点が“開き直り”につながっている。試合後、韓国の国内メディア『プレッシアン』は、「冷静な勝負師ホン・ミョンボ、ブラジル戦を捨て日戦の準備」との見出しを打った。主力のク・ジャチョル、パク

    サッカー銅メダルを巡り日韓対決へ。“絶対に負けられない”韓国側の事情。(吉崎エイジーニョ)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2012/08/09
    ブラジル戦を捨て日本戦の準備」との見出しを打った。主力のク・ジャチョル、パク・チュヨンらを休ませながら試合を戦った、と。
  • 北京で泣き顔、ロンドンで笑顔――。潮田玲子が負けてなお爽やかな理由。(松原孝臣)

    マイナー競技だったバドミントンのイメージを変えた功労者として、この8年間の長きにわたり過酷な日々を送ってきた潮田。美人アスリートとしても注目されていたが、その凄まじい練習量とプレーに対する厳しさは、誰にも負けないものであった。 全て手探り状態で大変だったミックスダブルスへの挑戦。 その話が協会から届いた時、潮田はにわかに現役続行の意欲を取り戻したという。不毛と言ってもよいミックスダブルスを日で広める――その役割を担うことに、心が動いた。 いざ始めてみると、普及していないだけに、練習相手を探すことさえ苦労することになった。 オリンピックの出場権は、世界ランキングに基づく。潮田たちはランキング外からのスタートだったので、海外の大会に片っ端から出場し、ランキングをわずかでも上げていくために転戦し続けた。 何もかもが手探りで、決して楽しいことばかりではなかったはずの過酷な日々だったようだが、別の

    北京で泣き顔、ロンドンで笑顔――。潮田玲子が負けてなお爽やかな理由。(松原孝臣)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2012/08/02
    おれの玲子
  • <気高きドラゴン、栄光と葛藤の日々> 久保竜彦 「自分でしょぼいと思ったら終わりよ」(二宮寿朗)

    ドイツW杯予選オマーン戦のロスタイムの決勝弾、 欧州遠征で強豪チェコを下した衝撃的なゴール。 記憶に残る得点を量産したストライカーは、 今年、静かにユニフォームを脱いだ。 口下手な男が語る、引退、そして日本代表――。 不慣れでちょっとたどたどしい。 「ゴール前に向かうときはボールから目を離したらダメ……。絶対にいかんよ!」 広島県、廿日市。海と山に囲まれた自然溢れる町に、日中の期待を集めながらW杯の舞台を踏めなかった元日本代表、36歳の久保竜彦はいた。4月からNPO法人「廿日市スポーツクラブ」のストライカー養成コーチに就任し、子供たちに愛情を持って教えている。 “ドラゴン”という愛称で親しまれた久保はJFLのツエーゲン金沢から戦力外通告を受け、17年間の現役生活にピリオドを打った。JFL、県地域リーグ、タイのクラブなどからも誘いの声がかかったが、と2人の娘が待つ広島へ戻ることを選んだ。

    <気高きドラゴン、栄光と葛藤の日々> 久保竜彦 「自分でしょぼいと思ったら終わりよ」(二宮寿朗)
  • カナダGP2位のグロージャンを支えた、“文系”F1エンジニアの小松礼雄。(尾張正博)

    1980年代後半、日GPでセナとプロストが戦っていたのを非常によく覚えていると語る小松。当時、日のF1シーンにどっぷり浸っていたことで、F1業界を目指すようになったという。 英語もできずに渡英し、F1エンジニアが通う大学へ。 通常の高校生なら、文系の大学に進学するのが精一杯。ところが、小松は単身渡英。秋入学までの3カ月間、まずロンドンで英会話学校に通い、1年間の大学入学予備コースでの勉強を経て、F1のエンジニアたちが多く通うラフバラ大学に入学してしまうのである。なぜなら、小松には夢があったからだ。それは、F1のエンジニアになることである。 ラフバラ大学に入学した小松は、自動車工学を専攻。ここで主席に次ぐ2番で卒業する。高校時代は数学も物理も苦手だった小松だが、それは小松にその才能がなかったからではなく、日の学校教育が小松の才能を開花させることができない環境にあったからではないだろうか

    カナダGP2位のグロージャンを支えた、“文系”F1エンジニアの小松礼雄。(尾張正博)
  • マッサを捨て駒にしてでも優勝を獲る!フェラーリというチームの恐ろしさ。(尾張正博)

    マシンで劣るとされているフェラーリにあってアロンソは、開幕の豪州GPで5位、マレーシアGPで優勝と破格の活躍。それに対してチームメイトのマッサは、開幕戦から、リタイア、15位という散々な成績。 アロンソにハイリスクなタイヤ交換をさせた舞台裏。 特にフェラーリにおける出色の戦略だったといえるのが、ドライタイヤへスイッチした40周目のピットストップのタイミング。 不安定な路面状況でのレースでは、先頭を走る者は先に動かずに2番手以下の様子を見るというのが鉄則とされている。ところが、フェラーリはトップ3を走行していたドライバーの中で、真っ先にアロンソをピットに呼んだのである。 ドライタイヤへ最初に交換したのは37周目のトロ・ロッソのダニエル・リチャルドだった。ライバル勢がラップタイムを注視する中、リチャルドは上位陣より4~5秒速いペースを刻みだした。しかし、ドライへのタイヤ交換のタイミングというの

    マッサを捨て駒にしてでも優勝を獲る!フェラーリというチームの恐ろしさ。(尾張正博)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2012/04/03
    勝利のためなら、たとえチームメートでも捨て駒にするという仁義なき戦略を採るチーム。
  • ダルビッシュ移籍で斎藤佑樹が覚醒!?早実の恩師が「今季10勝」を予想。(中村計)

    昨年の春季キャンプでのダルビッシュと斎藤。ダルビッシュという日球界史上屈指の投手と共に戦った数カ月は、斎藤に大きな影響を与えたことは間違いない 投球フォームの是非を論じてもしょうがないと語る恩師。 また昨シーズン、斎藤はフォームのことで評論家などから散々酷評された。いわく、あの投げ方では勝てない、等々。 だが、それに関し、和泉は実に真っ当な疑義を呈していた。 「野球はフィギュアスケートじゃないんだから。指先から離れたボールが打者に行くまでの話をどうこういうのはわかる。でも、それ以前の投げ方がどうこうという話は、あんまり意味はない気がする」 先日、あるプロゴルファーが、こんな話をしていた。 「学生時代に活躍したプロゴルファーがプロに入ってあんまり活躍できないのは、日のゴルフ界って、『プロに入ったら、こういうフォームで打たなきゃダメだ』みたいなのが多すぎるからだと思う」 つまり、結果を出す

    ダルビッシュ移籍で斎藤佑樹が覚醒!?早実の恩師が「今季10勝」を予想。(中村計)
  • 優勝候補対決、進学校vs強豪校……。センバツの注目ポイントを徹底解説。(氏原英明)

    選抜高校野球抽選会での花巻東・大沢永貴主将(右)と大阪桐蔭の水弦主将。一回戦での優勝候補対決となった。 センバツの組合せ抽選会が一段落し、指定された取材場所へと向かう途中、横浜(神奈川)・渡辺元智監督が大阪桐蔭(大阪)・西谷浩一監督に声をかけている風景を見かけた。 「慣れてらっしゃる……西谷先生、全然ビビってないですね」 渡辺監督は、大阪桐蔭の初戦の対戦相手が花巻東(岩手)と決まったので、気になって西谷監督に一声かけてみたという。 確かに、初日の第3試合で大阪桐蔭と花巻東が対決するという組み合せは、渡辺監督でなくとも関心を寄せざるを得ないサプライズだった。 2012年ドラフトで注目の2投手が、いきなり初戦で激突! 大阪桐蔭のエース・藤浪晋太郎が197センチなら、花巻東のエース・大谷翔平は193センチ。ともに、「○○のダルビッシュ」とそれぞれの地域の呼び名で騒がれてきた逸材である。家・ダ

    優勝候補対決、進学校vs強豪校……。センバツの注目ポイントを徹底解説。(氏原英明)
  • <日本の誇り2011> 澤穂希 「もうずっと夢心地でした」(二宮寿朗)

    FIFA主催大会で日人初となる得点王と大会MVP。だが澤穂希の偉業は トロフィーだけでは収まらない。なでしこジャパンの中核として、 苦しくてもあきらめない戦いで、日人に誇りと勇気を取り戻させてくれた。 ナンバーMVP賞を贈るとともに、彼女にとっての2011年を振り返ってもらう。 人々は、なでしこジャパンに熱狂した。 2011年7月、サッカー女子ワールドカップ。勇ましきなでしこたちは準々決勝で大会3連覇を狙う開催国ドイツを延長戦の末に打ち破り、決勝では過去24度戦って一度も勝ったことのない世界ランク1位アメリカをPK戦に持ち込んで下した。奇跡の優勝――。東日大震災によって深く傷ついた日に飛び込んできた明るいニュースだった。 人々は、澤穂希に熱狂した。 苦しい時間帯になればこそ、彼女は先頭に立ってもうひと踏ん張りのネジを巻いた。ドイツを沈めたスルーパス、アメリカの優勝を残り3分でい止

    <日本の誇り2011> 澤穂希 「もうずっと夢心地でした」(二宮寿朗)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2012/01/07
    相手のワンバックに当たって入りましたから。キッカーのあや(宮間)がいいボールを送ってくれたので、当てるだけでしたよ」
  • 若手に追い出して欲しかった……。松田直樹にみるベテランの存在価値。(二宮寿朗)

    横浜F・マリノスのホームスタジアム、日産スタジアムはブーイングに包まれ、サポーター席からは1人の選手の名前がコールされていた。 2010年シーズンを戦い終え、木村和司監督や嘉悦朗社長がサポーターに向けて挨拶を行なった最終戦のセレモニーは異様な光景となった。 サポーターたちの叫び声によって挨拶の言葉はかき消されていった。 彼らは8位で終戦した今季の成績に、悲しみと怒りの声を挙げていたわけではない。松田直樹を筆頭に山瀬功治、清水範久、坂田大輔、河合竜二といったマリノスを長年支えてきた選手たちが次々と来季の契約非更新を伝えられてクラブを去ることになった事態を嘆くとともに、クラブ側の対処を激しく責めていたのだ。 1995年から16年にもわたってマリノス一筋でプレーし、マリノスが獲得したすべてのタイトルを経験した“ミスターマリノス”こと松田直樹は、唇を震わせ、目を真っ赤にしながら自分に向けられたエン

    若手に追い出して欲しかった……。松田直樹にみるベテランの存在価値。(二宮寿朗)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2011/08/05
    1995年から16年にもわたってマリノス一筋でプレーし、マリノスが獲得したすべてのタイトルを経験した“ミスターマリノス”こと松田直樹
  • <JFLでの新たな挑戦> 松田直樹 「死ぬ気で、ぶっ飛ばしてやる」(佐藤岳)

    16年間J1の名門クラブを支え、日本代表でも活躍してきた男が、昨年11月、唐突に解雇を告げられた。失意を乗り越え、新たな戦いの場に選んだのはJFL。うっすらと雪化粧のほどこされた信州の山々を背に、偽らざる胸の内を赤裸々に語った。 お好み焼きをつついていると、おもむろに携帯電話が震えた。画面を見ると、松田直樹とある。数時間前、G大阪戦があった万博の競技場で別れたばかりだった。連敗を脱し、久しぶりに明るさを取り戻した松田の顔が浮かぶ。今は午後8時過ぎ。気分良く夕飯にでも繰り出しているはずの時間帯だ。何の用だろう。着信ボタンを押すと、何の前置きもなく、彼は言った。 「切られた」 電話口に恐ろしく無機質な声が響く。一瞬、意味を判別できないでいると、言葉が続いた。 「戦力外。さっき、会社から言われた」 2010年11月27日、それはあまりにも突然の通告だった。 それ以降、しばしの間、人の記憶は混沌

    <JFLでの新たな挑戦> 松田直樹 「死ぬ気で、ぶっ飛ばしてやる」(佐藤岳)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2011/08/05
    いざ移籍先を模索する段になると、ネックとなった。結果、J1のクラブからは1つもオファーが届いていない。
  • <特別インタビュー> 鈴木隆行 「5カ国10クラブを渡り歩く男の哲学。」(佐藤岳)

    プレーした国は日、ブラジル、ベルギー、セルビア、そしてアメリカ。 類を見ない経歴を持つ男は、何を求めて世界を彷徨したのか。 その人生観と信念を語った。 2011年3月11日。その日、多くの人々がそうだったように、鈴木隆行の運命も激流にのみ込まれた。昨秋、3シーズン所属した北中米リーグのポートランド・ティンバースで引退を決意し、チームから持ちかけられたコーチ就任の話を受けようとしていた矢先、未曾有の大震災に遭う。交渉の途中、アメリカから一時帰国した翌日のことだった。 と1歳の愛娘を連れ、都内に買い物に出掛けていたとき、尋常ではない揺れを感じた。すぐに車に飛び乗り、自宅へと向かったが、その間も余震は続き、ビルとビルの合間を走り抜けながら恐怖を覚えた。道の両脇には人が溢れかえっている。とんでもないことが起きているという感覚に身の毛がよだった。 茨城県日立市にある実家はしばらく音信不通となり、

    <特別インタビュー> 鈴木隆行 「5カ国10クラブを渡り歩く男の哲学。」(佐藤岳)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2011/07/29
    日立工高時代は1年から国体で活躍し、2年になると鹿島に声をかけられた
  • <三浦知良とD・ジェイムズの往復書簡> ドーハで命名されたKING KAZUの由来。(Number編集部)

    「キング」という愛称が定着し始めたのは……。 僕が思うに「キング」という愛称が定着し始めたのは、ヴィッセル神戸に在籍していた'04年あたりからかな。そして当にお墨付きをもらったのは、横浜FCに移籍した後にNHKが僕のことを「キング・カズ」と紹介したとき(笑)。それでようやく、自分自身の中でも「キング」というニックネームを自然に受け止められるようになった。今では珍しくなくなったけど、'05年当時、日本代表経験者がJ2のクラブに移籍するというのはほとんど前例がなかった。クラブハウスも決まった練習場所もない、着替えや汗を流すのはコインシャワーという環境を選択してまで、サッカーを続けようとする“しぶとさ”に敬意を表してくれたんだろうね(笑)。 以来、僕の中では「キング」に恥じない言動を心がけている。もちろん、お手は“ご先祖”キング。ペレの振る舞いは、まさに「キング」に相応しいものでしょう。先輩

    <三浦知良とD・ジェイムズの往復書簡> ドーハで命名されたKING KAZUの由来。(Number編集部)
    SuzumiyaRyosuke
    SuzumiyaRyosuke 2011/05/29
    クラブハウスも決まった練習場所もない、着替えや汗を流すのはコインシャワーという環境を選択してまで、サッカーを続けようとする“しぶとさ”に敬意を表してくれたんだろうね(笑