1 名前: ママ(アラバマ州) 投稿日:2008/09/11(木) 10:32:46.49 ID:Oktt/+rH0 ?PL もしもヱヴァを実写化するなら?女性キャラ篇の結果発表! 惣流・アスカ・ラングレー 1位 中川翔子 2位 新垣結衣 3位 戸田恵梨香 4位 成海璃子 5位 藤本美貴 アスカ役のCV宮村優子を神と仰ぐ、しょこたん。 「ヱヴァ」へのリスペクトも深いため、実写化するなら熱演してくれるはず!(抜粋) ソース http://ranobe.com/up/src/up298488.jpg 3 名前: 住居喪失不安定就労者(大阪府)[sage] 投稿日:2008/09/11(木) 10:33:25.34 ID:gVgEBSyn0 足が短すぎる 7 名前: ダフ屋(catv?)[] 投稿日:2008/09/11(木) 10:34:13.63 ID:tFhgk
謎解けるか「真の完結編」エヴァンゲリオン再映画化 2006年09月13日 90年代後半に大ヒットしブームを巻き起こしたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」が、再映画化される。生みの親である庵野秀明監督が95〜96年のテレビシリーズを基に、新作カットも加えて4部作に再構成。テレビ版とも97年の劇場版とも違う結末を描く。謎をはらんだまま終わり「神話化」された「エヴァ」だが、「今度はきちんと決着をつける。真の完結になる」と大月俊倫プロデューサーは話す。 新世紀エヴァンゲリオン 大月俊倫プロデューサー=東京都内で 「テレビ版のようにメタフィクション的な終わり方でけむに巻いたり、劇場版のように世界が終末を迎えるような不条理なラストにしたりはしない。エンターテインメント志向で、企画当初の構想に近いラスト。ずっとやりたかったが、監督がようやくその気になってくれた」と大月さん。 「エヴァ」は、形も能力も様々な
1 名前:( ´ヮ`)<わはーφ ★ 投稿日:2007/02/17(土) 17:44:52 ID:???0 95年に放送され、大ブームを起こしたテレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」をリメークする「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」4部作の第1作目の公開日が9月1日に決定したことが、17日にポータルサイト「ヤフー」に開設された同作品の特設サイトなどで発表された。 この日から、同サイトや全国の映画館50カ所で、「この12年間エヴァより新しいアニメはなかった」などとする庵野秀明総監督の「決意表明」が掲示され、庵野監督が設立した新たな製作会社で製作されることも明らかになった。 「新世紀エヴァンゲリオン」は西暦2015年の日本を舞台に、地球を襲う謎の生命体「使徒」と、巨大ロボット「エヴァンゲリオン」に乗り込んで戦う主人公・碇シンジら少年少女の運命を描いた物語。中高生を中心に圧倒的な人気を呼び、ヒロイン
1 名前:依頼618ほか@すてきな夜空φ ★ 投稿日:2006/09/06(水) 20:14:32 ID:???0 「エヴァンゲリオン新劇場版」前編、中編、後編、最終話の4部作にて製作決定。 '07年初夏、前編公開予定。 STAFF 総監督=庵野秀明 監督=鶴巻和哉 キャラクターデザイン=貞本義行 メカニックデザイン=山下いくと アニメーション制作=カラースタジオ 前編のシナリオは庵野、絵コンテは樋口。 大月Pのインタビューあり。 ・物語の時間軸はTVシリーズと同じだが、内容は全く異なっている。リメイクでも作り直し でもない”新作"。 ・新訳Zとは違うアプローチで、大量の新設定も用意。 ・TVシリーズをみていなくても楽しめる。内容はやさしくなるが、ボーッと見て分かるような ものにはしない。 ・わざわざ難解な語句を撒き散らすようなテクニックはもうつかわない。
セカイ系ってなんですか? セカチューみたいな病気モノ? とか思ってたのは私だけじゃないはず。 困った時のwikipedia。ふむふむ。wikipediaだけじゃよくわからないのでこしょこしょ調べましたよ。要は、 ●主人公カップルと、その周辺の人たちメインで、第三者的キャラやそれを含む社会や世界が希薄。 ●主人公カップル(のどっちか)に世界の命運を左右する力を持つ。これにより世界は主人公たちの下位にあることになる。 ということっすかねー。って調べたの大分前の話なんですがね。 セカイ系に属する作品としては「涼宮ハルヒ」「エヴァンゲリオン」「最終兵器彼女」「イリヤの空、UFOの夏」「エウレカセブン」あたりがメインになるのかな。 正直言いまして、私この概要だけ見ると「ああ好物かもしれない」って思っちゃうんですよね。でも宮台氏のセカイ系評とか見るとそんなによく見られていないようです。うーん。まず私が
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
・シンジは、なぜアスカの首を絞めたのか http://homepage3.nifty.com/mana/main-story3.htm シンジにとって、世界で何よりも恐ろしいのは、他人にまた捨てられることなのです。 テレビ版25話 テロップ 「何が恐いのか」 シンジ 「自分が」 テロップ 「何が恐いのか」 シンジ 「嫌われること」 テロップ 「何が恐いのか」 シンジ 「誰に」 テロップ 「何が恐いのか」 シンジ 「誰だ」 テロップ 「何が恐いのか」 シンジ 「それは父さんだ。父さんに捨てられた。嫌われたんだ。嫌われたら、どうしよう」 シンジ「僕を、見捨てないで」 この記事の解釈でいくと、シンジ君は典型的な境界性人格障害だなぁ。ここでふと思い出したのが、シロクマさん(id:p_shirokuma さん)のかつての発言。 http://d.hatena.ne.jp/p_shiroku
『機動戦士Vガンダム』放映中に「ウッソがあれ程までに求める父親は、尊敬に足る人物なのか。その作品の評価が決まるよ」と庵野さんが云っていた事がある。ただ、随分経ってから、その発言について本人に確認したら「え? そんな事を云ったっけ?」と云われてしまった。それは真剣な発言ではなく、思い付くままに口にした言葉だったのかもしれないが、ウッソの父親がどんな人物だったかは、やはり『Vガンダム』を考える上で大事なポイントだった。その結果についてはここでは書くまい。未見の方は、機会があったら確認していただきたい。父親の正体が気になるという点では『新世紀エヴァンゲリオン』も同様だった。あれ程にシンジが求め、プレッシャーを感じ続けた碇ゲンドウとはどんな人物なのか。また、『エヴァ』という作品は男性性というものに対して懐疑的なところがある。男らしさを演じていた少年は去勢され、男の戰いを演じようとした主人公は母親の
「我々は再び、何を作ろうとしているのか?」と題された、庵野秀明の「所信表明」を読みました。 率直に言って、とてもいいと思った。言葉に無駄がない。ここ数年の庵野の発言に比べ、格段にすっきりと組み上げられた文。署名には「原作/総監督 庵野秀明」、日付は「2006 09/28 晴れの日に 鎌倉にて」とあって、彼にとっての何らかの区切りの日だったのでしょうね。さらに、テクストの題名は1995年の「我々は何を作ろうとしているのか?」を意識したものになっている。「原作/総監督」というクレジットも、これまであまり登場していなかったと思います。「エヴァンゲリオン」という作品をその始まりから見直そうとする彼の意志を、そうした、まだ理由のはっきりとしない変更点が語ってもくれそうで、なんだか嬉しい。 10年以上昔のタイトルを何故今更、とも思います。 エヴァはもう古い、とも感じます。 しかし、この12
エヴァンゲリオン・コンプレックスを克服した涼宮ハルヒの憂鬱は最強。 - HINALOG 2.0 追記・ハルヒの構成とか、エヴァコンプレックスの話とか - HINALOG 2.0 “『涼宮ハルヒ』は、『エヴァンゲリオン』を克服しました!おめでとうございます!ウジウジしたシンジも、出来損ないアスカも、心の欠けた綾波レイも過去のものです!ハルヒはアスカを、キョンはシンジを、長門さんはレイを超えました!葛藤は解消されました!涼宮ハルヒばんじゃーい!∩( ・ω・)∩” (注:この文章はリンク先とは関係ありません。リンク先の方は至って冷静です。) さて、本当に克服したのかな?いや、とんでもない!リンク先の方が後述しているように、エヴァでオタク達に突きつけられたオタク達自身のコンプレックスなりわだかまりなりは、未だ克服されていない。オタクは未だ、シンジのようであり、アスカのようであり、レイのようであって
萌え理論Blog - ポストエヴァとしての涼宮ハルヒ GilCrowsの無法地帯 - 涼宮ハルヒの憂鬱がエヴァンゲリオンに決着を付けた エヴァになれない涼宮ハルヒの憂鬱 「涼宮ハルヒの憂鬱」は結局のところ「ポスト・エヴァ」なのか? : 小心者の杖日記 エヴァンゲリオン・コンプレックスを克服した涼宮ハルヒの憂鬱は最強。 (HINALOG 2.0) REVの日記 @はてな - エヴァとハルヒのはなし:ブクマコメントについて シロクマの屑籠(汎適所属) - ハルヒとエヴァを比較する際の、僕なりのデリカシー シロクマの屑籠(汎適所属) - ハルヒを持ち上げてエヴァのトラウマを忘れたがるオタク (lab.for)the days2 迷走篇(彼女の首に手をかけない方法) - エヴァVSハルヒはオタ知識のある非モテサブカルVSキモオタ? 人力検索はてな - ネット上では、アニメオタクの方達がアニメ版『涼
オタクとサブカルの差異 オタクとサブカルの違いは何か。サブカルはメインに対するカウンター性があるが、オタクにはそれほどない。また、サブカルはメジャーに対してマイナーではあるが、市場からはみ出す個性と表現性を重視する。一方オタクは、個々の作品の制作者の個性よりも、お約束すなわちそのジャンルのコードを重視する。ただしその約束事はマニアックなまでに追求する。例えば、コミケの絵柄がハンコ絵でも、その微妙な差にこだわる、という感じだ。つまり、サブカルは革新的ならオタクは保守的なところがある。 エヴァンゲリオンの境界性 そのように両者は相容れない。しかし、大流行したアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』は、オタクとサブカルの境界線上にあった。その境界性がオタク・サブカルさらに一般にまで浸透させた力だと考える。大雑把に、エヴァは物語の前半がオタク的で、後半がサブカル的だろう。後半特に終盤の破綻は、作家の表現を
前置き ここでは、「メタレベルで〜隠喩として機能している」だとか、 いかにもブンガク的批評といった言葉は使わないことにしよう。 また、公式の設定だとか謎本の解釈だとかもスルーして、 ここではただ作品を見た印象からのみ語ることにしよう。 なぜなら、難解なエヴァを分かりやすく説明しようとしているからだ。 ただしエヴァの分かりにくさの原因を分かりやすくするだけではある。 エヴァはどこが新しかったのか 『新世紀エヴァンゲリオン』は新しいアニメだった。何が違うのか。 巨大ロボットアニメで、主人公が熱血でないという点が新しかった。 しかし、主人公が葛藤するというのはガンダムでもそうではないか。 表面的な意匠はともかく、その点で新しくないのではないだろうか。 実はエヴァが分かりにくいのは、ライバルが不在だからである。 正確に言うと、ライバルからラスボスまで含めた敵役のことだ。 偏見だけで述べるが、例えば
9月上旬は飛ぶように過ぎた。全く僕には一瞬にすら思われた。でもようやく久々に忙しく走り回らなくてもいい一日があって、昼に起きて白いご飯と味噌汁と塩辛で食事にしたら何だかとても気分が落ち着いた。それで僕はついに映画を見に行くことにしたのだ。 どうせ三軒茶屋かどこかで見られるとばっかり思っていた。誰もが注目している、いっとう大事な映画なのだから、どんな映画館でも今はこれをかけているに決まっているんだと勝手に思いこんでウェブで確認したが、実際そんなことはなかった。それで結局は渋谷に出向いてバイクを駐車できなくて、新宿まで行った。 正直な話、僕は「新世紀エヴァンゲリオン」という作品について文章にしたことがほとんどないのだ。 僕が初めてこの作品を見たのはテレビの本放送で、そのとき見たのは「第弐拾弐話 せめて、人間らしく」だった。スーパーファミコンのゲームを遊び終えた僕はテレビを付けっぱなしにしたまま
ネタバレ全開につき注意 エヴァとヱヴァは別物のようだ にて新世紀エヴァンゲリオンと新劇場版ヱヴァンゲリヲンの相違を緊急でまとめたんだけど、再構成。 というか、早速 ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序 - Wikipedia がやたら詳しくなっててビックリ。2chスレまとめ系では 【2ch】ニュー速クオリティ:劇場版エヴァンゲリオンが面白すぎる件 が纏まっているか。 エヴァとヱヴァの相違点 以下に気になる相違点をまとめた。 参考リンク ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序 - Wikipedia 【2ch】ニュー速クオリティ:劇場版エヴァンゲリオンが面白すぎる件 たまごまごごはん - 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」エヴァを知っている人もそうでない人も。 EMPTINESS - 2007-09-01 週刊少年二次元 ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序の伏線、考察 萌え理論Blog - 「ヱヴァンゲリヲン新
なんだか体中が痛いんですが。サロンパス必須。サロンパス臭いサロンパス怪人です。 id:i04さんにぼくを元ネタにしたキャラクターを書いていただきました。なんかクールなキャラになってて、少し照れくさい気分。ともあれありがとうございます。この調子でどんどん好きなものを書いてください。はてなネタも大歓迎です。シロクマPとか。 青年のための読書クラブ 作者: 桜庭一樹出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2007/06メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 86回この商品を含むブログ (254件) を見る読書というのはある種の秘儀で、それを共有するものたちの密やかな集団、というのがこの世界にはあちこちに存在している。ある種の閉鎖的社会においては特にそうだ。秘儀を胸に抱いているがゆえに、他の人々とは交われぬ人間、あるいは、他の人々と交われぬがゆえに、そうした秘儀へと参入する人間。そうした、世に入れ
もののけ姫 vs エヴァンゲリオン (宮崎監督と庵野監督:97年夏の師弟対決を中心に) ここでは、宮崎監督と庵野監督の発言について、出会いから、お互いの批判、97年夏の「もののけ姫」と「THE END OF EVANGELION」の同時公開による対決といった部分をまとめてみようと思います。お互いの人柄や、作家としてのスタンス、スタジオジブリの後継者問題などいろいろな点が見えると思います。 とくに「もののけ姫」がよくも悪くも異様に気合が入った作品であったのは、間違いなく「エヴァンゲリオン」との直接対決の影響があったと思います。(弟子にいろいろ批判された怒りもあるでしょう)。これを機会に、宮崎監督の作品には力が戻り、ジブリの世界戦略ともあいまって、宮崎監督は世界的な著名人へとなっていきます。 今回は発言集ですが、私としては、お互いの作品の比較を別途作成中です。 なお、二人のインタビュー
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