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学校に関するTear_of_angelのブックマーク (2)

  • いじめは娯楽であり,また(いじめる側の)コミュニケーションの手段である - ただウェブに駄文を綴るのみ

    マスコミでもネットでも,いろんなところで好き勝手にいじめについて語られているので,自分もその波に乗るためにいじめについて書こうと思う。 いじめについて議論する際,どうにも理論的な話にしようとするものを見かけるが,その全てに対してなんとも言い様のない違和感を感じるものである。そもそもいじめってのは,人間の醜い感情の部分を抑え切れず,ひどく拡大したものであり,そんな人間の感情など理論に当てはめることなど到底不可能だと思うわけで,この手の話は理論的に語れば語るほど,いじめの根からは全くかけ離れた話になってしまい,結局議論という名のゲームにおいてのみいじめとはこうであるという結論が出されるだけに留まり,いざ議論によって出た結論を元にいじめ対策をすれば,いじめる側はそれをあっさりと回避するだけの知恵と狡猾さでいじめを繰り返すか,既にいじめが通り過ぎた荒野だけが残るにすぎない。 もしいじめというのを

    いじめは娯楽であり,また(いじめる側の)コミュニケーションの手段である - ただウェブに駄文を綴るのみ
    Tear_of_angel
    Tear_of_angel 2006/11/17
    確かに、自殺しても、いじめをしていた人間は反省も後悔もしない、罪の意識に苛まれる事もない。
  • Tritsch-Tratsch - 教室内で作り出される空気

    担任によって方針は違うと思いますが、小学校も高学年になるとその日の授業に必要な道具を忘れた者は、休み時間中に別のクラスの友だちに借りにいくなど、自分で解決するように指導されるようになります。 末っ子のクラスメイトのYくんは度々忘れ物をしても自分で誰かに借りに行かず、先生に告げるのだそうです。先生は、クラスメイトたちに「誰か貸してあげる人はいませんか」と尋ねます。先日は習字の時間に墨を忘れたYくんに誰も貸すという人が現れませんでした。末っ子が、授業が始まってからどさくさにまぎれて立ち上がり、Yくんの硯に自分の墨をチュッと差した、という話をYくんのお母さんから聞きました。(すみません、わが子自慢をしてしまいました。その部分は寛大にスルーしてください。) Yくんのお母さんに「Sちゃんにありがとうと言っておいてください。」と言われたのでその話を末っ子に持ち掛けました。末っ子は家であまりそういう話を

    Tear_of_angel
    Tear_of_angel 2006/11/14
    まずは先生と話してみては?子供は先生に「不公平だ」と言えないんだと思う。先生の間違いを指摘して正すのは、直接子供から話を聞いた親しかいないと思う。
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