1946年(昭和21年)に暴力団に入り、1963年(昭和38年)には横須賀一家の五代目を継承。 1969年(昭和44年)には巽産業を設立し、企業経営志向を取る。これが経済進出する暴力団の先駆けとなる。なお同年、賭博事件などに関与し起訴され懲役5年の実刑判決を受けて服役した。 1972年(昭和47年)10月、稲川一家と三代目山口組との親戚縁組のため、稲川一家理事長として山口組若頭・山本健一(山健組組長)と五分の兄弟盃を交わす。 同年12月、稲川聖城によって稲川会が結成されると引き続き理事長に就任。その後、稲川会会長補佐に就任する。 1984年11月に稲川会をモデルにした東映映画『修羅の群れ』[1]が公開された。 1985年(昭和60年)夏に、神戸で行われるユニバーシアード大会を無事に行えるように、山口組と一和会の抗争である山一抗争を2ヶ月ほど休戦させる(ユニバーシアード休戦)ことに力を発揮。