![Amazon.co.jp: 生の欲動―神経症から倒錯へ: 作田啓一: 本](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2a07313d1b34d458ae612d19eae34ad4b1e41bcd/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41ymnnqXgHL._SL500_.jpg)
ここに掲げる文献リストは網羅的なものではなく,単に筆者の知っている文献,気がついた文献にコメントをつけているにすぎません(主として単行本に限定しています)。網羅的なものを参照されたい場合は,日本ラカン協会の「ラカン研究邦語文献目録」をチェックしてください。また筆者の知らない,気づいていない(と思われる)文献をご存じの方は,メール等で筆者までお知らせいただけると幸甚です。このページをより充実した公的情報源とするため,ぜひご協力ください。ちなみに以下,[ ]内は原著刊行年です。 ※新着未整理の文献がたまってきました。新しいものを早く紹介することに意義があるとはいえ,多忙につきコメントをつけるのが苦しくなってきましたので,とりあえず文献名だけのリストをつけることにしました。こちらです。 (公開: 1996年頃~ 最終更新日: 2009年1月5日【更新終了】) とりあえず入門編どういう基準だか応用
→紀伊國屋書店で購入 「文学につける薬」 「文学」が嫌い、という人が意外に多い。関心がないというのではなく、積極的に、嫌い。筆者の勤務先は、「文学研究者」をめざしている人がいるはずの所なのだが、実際には、文学が嫌い、という人がけっこういる。口で言わなくてもわかる。顔にそう書いてある。 実は、筆者もそのひとりである。いつもではないのだが、ときどき、嫌いになる。昔はもっとそうだった。「文学」は、胃腸の働きのよくない者には向かないのかもしれない。腹にもたれるし、胸焼けもする。鬱陶しいときには、実に、鬱陶しい。 そんなときに「文学」の消化分解を助ける薬がある。その昔、筆者がよく手にしたのは精神分析批評だった。この20年の間に精神分析や精神分析批評をめぐる環境は変わっていったが、今回、斎藤環の作家論を集成した『「文学」の精神分析』を読んでみて、あらためて「そういうことだったか」と思ったことがいくつあ
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