タグ

mediaと考え方に関するYUKI14のブックマーク (6)

  • 願望器としての美少年/美少女――キャラを消費するということ - シロクマの屑籠

    オタクはありのままのキャラクターを愛でているのか? 萌えたりブヒったりしている時にオタクの脳内では何が起こっているのか? このあたりは、東浩紀さんが『動物化するポストモダン』で書いた“データベース消費”というモデルでだいたい説明されていると思う*1。とはいえ、何度触れても滋味深い話だし、最近は人間もデータベースとして消費されがちなので、ここでは『Fate/Zero』っぽい喩え話を書いてみようと思う。 キャラクターは、その人の欲望を盛るための器でしかない。 『Fate/Zero』風に言うと、オタクにとっての美少年/美少女キャラクターは、聖杯にあたる。願望器、ということだ。現代のキャラクター愛好家達は、実際には、キャラクターそれそのものを愛しているのではない。そのキャラクターにお手盛りした願望や欲望を愛している、と言ったほうが現実に即している。 その最たるものが、ニコニコ動画などでよく見かける

  • 草食系男子という言葉の違和感と恋愛マーケティングの衰退 - 空中の杜

    なんか最近使われているらしい「草系男子」という言葉。厳密な定義はないみたいですが(これらの言葉はもともとつけられた言葉から変化していくというのはよくあるので。勝ち組&負け組とか)、まあ何となく言われているのは、恋愛にガツガツしていない男、という意味でしょうか。 ■参考:草系男子 - Wikipedia しかし、この言葉に最初から違和感を抱いていました。何故か。それはそもそもここで言われている様な恋愛は、べなければ生きてゆくことの出来ない料なのかということ。つまり、恋愛及びそれにまつわる活動というのは趣味趣味ともちょっと違うだろうけど)のひとつではなく、べるのと同じように必ず常時していなければいけないというような価値観であるのか、ということ。 恋愛の必要度はそれは人により違うでしょうが、全員が全員そうではないでしょう。ただ、マーケット的にはこの「恋愛をすること」というのが、M1、

    草食系男子という言葉の違和感と恋愛マーケティングの衰退 - 空中の杜
  • 芥川賞に選ばれて:言いたいこと、あの夜と今=田中慎弥 - 毎日jp(毎日新聞)

    すでに各メディアで流されたから御存知の方も多いだろうが、一月十七日、私の小説が芥川賞に決まった日の夜、東京でバカな記者会見をした。女優の言葉を引用し、自分がもらって当然と言い、さらに石原慎太郎都知事に言及した。その後のさまざまな報道のされ方の中には、事実と違う部分がかなりある。終わったこととはいうものの、私の知っている範囲の事情を、どうしても書いておきたい。 まず、十七日の会見の段階で私は、石原氏が六日に行った、今度の芥川賞候補作はバカみたい、という発言を全く知らなかった。正確な内容を知ったのは十八日になってからだ。次に、会見内での、もらって当然、都知事と都民のためにもらっといてやる、という言い方は、はっきり言うと最終候補になるずっと前から、もしその時が来たら言ってやろうと準備していたものだった。だから、六日の都知事の発言に田中がかみついた、というのはメディアが勝手に作った図式だ。 もう一

  • なぜ、オカンはデマを真に受けるのだろう - kobeniの日記

    こんばんは、kobeniです。私は今週から、自宅待機も終わり、また仕事が始まりました。やっと、少し冷静になってきた。というのが正直なところです。 さて、今回の震災で、「オカン(親)の情報リテラシーがヤバい」と痛感してしまった方はいないでしょうか。 あれは地震の日の翌日だったか、うちのオカンが家に来て、文旦(高知あたりでとれる、でっかいミカンです)を置いていきました。その帰り際にひとこと「ちょっとあんた、有害な物質が含まれた雨が降るらしいから、雨に濡れちゃイカンよ!関係者の人が言ってるらしいから!」 …そうです。コスモ石油の例の件です。 「LPガスなので人体には影響がない」って、LPガスをググれば文系の私でも理解できる内容でした。しかしオカンは、友達からのメールで受け取ったらしく、あっさり引っかかっておりました。 ちなみにうちのオカンですが、60代です。ずっと教員をやってました。新聞は普通に

    なぜ、オカンはデマを真に受けるのだろう - kobeniの日記
  • 漂流生活的看護記録 : 危機介入

    しぶしぶたたかうかんごふさん。新人の頃働いていたリハビリテーション病院に交通事故で脊髄を損傷し、下肢機能全廃の二十歳そこそこの男の子が入院してきた。 事故から間がないにもかかわらず、妙にさばさばとした明るい男の子で、入院時の機能測定をしたPTが「まだ機能回復が望めると思っているのかもしれませんね」と言っていたが、人は「もうこれ以上よくなることはないと知っている」と、やはり元気にわたし達のアナムネに答えていた。わたし達はその明るさになんだか違和感を感じていたのだが、彼はまったく泣き言も言わずリハビリにも熱心で、自室でのトレーニングも欠かさず、他の患者とも仲良くやっていける、当に「いい患者」だった。まだ若いし、これからの自立した生活に必要な準備を万端整えてから退院かと思っていたら 「必要最小限のことでいいんです」 と言って、自己導尿(脊髄損傷の度合いが高いと自力での排尿コントロールが難しく

  • 逃げ場としての図書館、あるいはプロ眼力の価値

    のかたち」という変わったフォーラムに行ってきた。の未来のビジョンとスキームを語らおうという場だ。詳細は[公式サイト]を参照。 出版界の危機を反映した、真っ向勝負のテーマなのに、キャッチボールのようなやりとりに拍子抜け。初回だからこんなものか。もっと殺伐とした、顔面ありドッジボールを期待するわたしが悪か。とはいえ、普段なら得られない「気づき」があったので綴ってみる。 まずは"逃げ場としての図書館"に反応した。これは、橋大也氏の提言の一つ「教会としての物理的図書館」の話の中で出てきた。曰く、管理教育に馴染めなかったとき、地域の図書館が一種の避難所として役に立ったという。そして、大検という選択肢があることを図書館で知り、人生を拓いたそうな。図書館とは「情報による救済と癒しの場」であって、「万人を迎え入れてくれて、放っておいてくれる場所」として重要だという。 おお、なんというシンクロニ

    逃げ場としての図書館、あるいはプロ眼力の価値
  • 1