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アニメと考察に関するa-strange-6891のブックマーク (3)

  • SUKEBENINGENSUKEBENINGEN 鉄腕バーディーの作画崩壊からアニメの作画至上主義という考えの愚かさについて考えてみる。

    今回は「鉄腕バーディーの作画崩壊の件」がキッカケのエントリーです。詳しい事情とかはこの辺りを読んで下さい。 鉄腕バーディー DECODE:02 第7話の作画について知っておくべきこと 鉄腕バーディー DECODE:02 第7話の作画についてダラダラと まず大原則として「アニメーターはひとかどのクリエーターではない」って事。 リスキーな作家になる事を放棄して彼らは安定してる「職人絵描きなアニメーター」になった。その安定の代償として「個性を殺して原作(マンガ)の絵をひたすら忠実にコピーするロボット」となるのが決まりだ。 アニメの世界で作家性を発揮しても良いのは自分のオリジナルの企画で(監督なり演出家となり)アニメを作った時だけ。そういうリスクを取らずに自己表現をしてはならない。 80年代前半にアニメーターの個性的な作画表現を評価するような風潮が出来た。でもソレは「来なら許されない行為」をお目

    a-strange-6891
    a-strange-6891 2009/03/02
    「バーディ」7話と同時期に出た、「ふじもとよしたか」の『絶対衝激』はアニメとは何かを考えさせてくれますよ。
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第54回改訂版 「あしたのジョー」に関する2つの解釈

    この連載は、僕がその作品をリアルタイムで観た時の印象や、当時の思い出を中心に書いている。これまでも多少の例外はあったが、今回と次回もまた例外となる。僕は『あしたのジョー2』のDVD-BOXやBlu-ray BOXで解説書の編集を担当した。その度に色々と考える事があった。年齢を重ねてから観直すと、当時気がつかなかった事に気づく。それを解説書に書こうかとも思ったのだが、明らかに個人的な見解だろうと判断して書くのを我慢した。それについて書きたい。 僕が「あしたのジョー」最終回ラストシーンがちばてつやのアイデアである事を知ったのは、最近の事だ。どちらが先だったかは覚えていないが、夏目房之介の著作か、梶原一騎の評伝のどちらかを読んでそれを知った。梶原が最終回のために書いた原作では、ラストでジョーはホセに判定負けをするが、それに対して段平が「試合では負けたが、ケンカには勝ったんだ」と言う。そして、ジョ

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第52回 『あしたのジョー2』(TV版)

    『あしたのジョー2』については、昨年、「アニメージュオリジナル」とBlu-ray解説書で原稿を書いており、それ以前にもDVD-BOXの解説書などで書いた事がある。今回の原稿は、多少それらの内容と重複する事になる。 原作は少年マンガの金字塔「あしたのジョー」。高森朝雄とちばてつやの作品であり、高森朝雄は梶原一騎の別名だ。1970年に虫プロダクションによってTVアニメ化されたが、その最初のシリーズは、内容が原作の連載に追いついたため、途中で終了してしまった。10年後に、東京ムービー新社の製作でスタートしたのが『あしたのジョー2』だ。放映されたのは、1980年10月13日から翌年8月31日。ただし、物語のつながりとしては、旧TVシリーズの続編ではない。1980年3月に旧TVシリーズを再編集した劇場版が公開されており、その続きという位置づけとなっている。演出(監督と同義)は、旧TVシリーズも手がけ

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