タグ

Wikipediaと戦車に関するa96nekoのブックマーク (4)

  • 74式戦車 - Wikipedia

    74式戦車(ななよんしきせんしゃ)は、陸上自衛隊が61式戦車の後継として開発、配備された国産二代目の主力戦車である。部隊内での愛称は「ナナヨン」。 概要[編集] 74式戦車は61式戦車の後継として開発された、第2.5世代主力戦車に分類される戦車である。三菱重工業が開発および生産を担当した。 105mmライフル砲を装備し、油気圧サスペンションにより車体を前後左右に傾ける姿勢制御機能を備え、射撃管制装置にレーザー測距儀や弾道計算コンピューターを搭載するなど、61式の開発された時点では実現できなかった内部機器の電子化も行われている[1]。軽量化のため内部容積を減らして小型化している。配備開始から装甲増加などの大幅な改修は行われていないが、新たな砲弾への対応能力が付与され戦闘力を向上させている。 後継車輌として第3世代主力戦車である90式戦車が開発・生産されたが、こちらは北部方面隊以外では富士教導

    74式戦車 - Wikipedia
  • 61式戦車 - Wikipedia

    砲塔 114mm 車体 55mm 二次試作車ST-A3 砲塔 主砲防盾:125mm 側面:60mm 後面:35mm 上面前端:40mm(30°)(水平線からの角度。以下同) 上面:18mm 車体 前面上部:40mm(30°) 前面下部:50mm(52°) 側面上部:30mm 側面下部:35mm 後面上部:25mm(78°) 後面下部:20mm(60°) 上面:12mm 底面前端:25mm 底面:35mm 底面後端:10mm(30°) 61式戦車(ろくいちしきせんしゃ[注 1])は、日の陸上自衛隊が運用していた戦後第1世代戦車に分類される戦後初の国産戦車である。 戦後第一世代に分類されるわけは、ひとえに90 mm砲を搭載しているからであるが、車体の機構的には世界から遅れており、「最後の大戦型戦車」と評されることもある。 概要[編集] 第二次世界大戦後、初めて開発された国産戦車であり、第1世

    61式戦車 - Wikipedia
  • T-80U - Wikipedia

    ソ連が1955年から開発に着手し、T-64への搭載を目論んだものの、果たすことはできなかったガスタービンエンジンの装備を目的として、1968年からレニングラード・キーロフスキー工場設計局(KB-LKZ)がオブイェークト219(Ob219)の開発に取り組んだ。Ob219はその後T-80として制式化が行なわれ、ソ連は念頭のガスタービンエンジン実用化に成功したものの、その耐用命数は僅か500時間と短く、さらには初期故障と燃費の悪さも問題であったため、1982年に改良型ガスタービンエンジンGTD-1000M(1,200馬力)を搭載したT-80Aが開発された。そして、この開発で得られたノウハウを元として、1983年から生産されたのがT-80Bである。 T-80は最新鋭戦車として申し分の無い攻撃力・機動力を有していたが、複雑な構造で、かつ燃費の悪いガスタービンエンジンを装備したことにより整備性・経済性

    T-80U - Wikipedia
  • T-90 - Wikipedia

    T-90は一輌あたり約140万ドルと安価で、性能も優れていることから、他国に対しても積極的な売りこみが行われている。かつてソ連は「モンキーモデル」と呼ばれるオリジナルよりも性能の劣る仕様で他国へ兵器を売り込んでいたが、湾岸戦争での失敗もあって、T-90については、国防上の観点から最先端技術の輸出は行わないにしても、以前のような著しい劣化仕様とはみられていない[注 1]。 2000年10月、ロシアとインドは「戦略的パートナーシップ宣言」に調印し、この中でT-90Sの約300輌(一部は回収戦車型)の売却と、インドでのライセンス生産について合意している。インドの隣国であるパキスタンがウクライナからT-80UDを導入していることから、T-90Sの導入はこれに対抗する意図があると見られている。インドの現地生産型T-90Sは「ビーシュマ」の愛称で呼ばれることになる。 一方で、北朝鮮の金正日が2001年

    T-90 - Wikipedia
  • 1