写真と資料に関するad049のブックマーク (1)

  • 1913年、ロシア保護下にあったボグド・ハーン政権時代のモンゴル国、カラー画像 : カラパイア

    ボグド・ハーン政権の統治機構は清朝のそれをほぼ承継し、速やかな政府構築を行なった。また、モンゴル統一のため内蒙古に軍を派遣し、一時はその大部分を制圧したが、政権の後ろ盾であるロシア帝国が清朝との関係悪化を懸念し、モンゴル軍の内蒙古からの撤退を要求したため、断る術の無いボグド・ハーン政権は国土統一を目前にして撤収を余儀無くされた。 1915年、キャフタ協定で清朝の後継国家である中華民国宗主権下での外蒙古は自治のみが承認された。内蒙古でも独立を目指す動きが見られたが、内蒙古の大半の地域が漢民族居住地になっており、中国は内蒙古を手放そうとしなかった。また、漢民族が主体の内蒙古を併合することで政権の主導権を奪われることを恐れたモンゴル人の思惑もあり、内外蒙古の合併は実現しなかった。 1917年、ロシア革命が勃発してロシア帝国は崩壊し、中国は後ろ盾を失った外モンゴルに対する勢力回復に乗り出した。19

    1913年、ロシア保護下にあったボグド・ハーン政権時代のモンゴル国、カラー画像 : カラパイア
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