「ニンジャスレイヤー」は狂っている。それは特徴ある文体や内容についてではない。その存在が、それが連載され続けていたということが、狂気である。今回はマジで怖い話なんで心臓の弱い方は「戻る」ボタンを押して下さい。 続きを読む
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今朝、目が覚めて、しばらくベッドのなかでアイフォンをさわっていたら、サリンジャー死去のニュースを知った。1919年生まれだから、かなりの高齢ではあったが、それにしても、サリンジャーが死んだというしらせはなんだかふしぎな感じがして、そのまますこしぼんやりとしてしまった。 数年前にヴォネガットが死んだけれど、そのときにわたしが感じた気持ちは、今回とはすこしちがっている。なぜなら、実人生においてヴォネガットは、すこやかに、とてもよく生きたが、サリンジャーは、ごく控えめにいっても、彼の人生をじゅうぶんに享受し、よく生きたとはおもえなかったからだ。彼は作品を発表せず、人目を避け、森の奥にひっそりと暮らしていた。家のまわりには高さ2mの塀をめぐらせていたという。 だからこそ、わたしにとって、サリンジャーがまだ生きているというのは、とても意味のあることだった。彼の机の上には、十数作におよぶ長編小説の完成
はじめに 今回のお話は、諸々の事情をかんがみまして、だいぶ事実を改変しております。 フィクションと思ってお読みください。 あなたが実際に似た話を知っているとしても、それはおそらく偶然の一致であり、この話とは無関係です。 本文 シロイさん、駅までなら送っていこうか? いいのよもう、どうせ通り道なんだから。それに誰かとお話しながら帰る方が楽しいでしょ。遅い時間なんだし、このへんは道が暗いし、駅まで歩くのは危ないでしょ。だから遠慮しないで。 ふふ、いいでしょう、この車。最近、かなり契約、とれてるからね。思い切って買ったの。実はこの車を誰かに自慢したかった気持ちもあったりして。だって私、この車見るたびに思うのよ、自分はここまで来れたんだなって。ほんと、嬉しくって。 この仕事、最初の頃は辛かったけどねえ。私は営業の才能がないって、何度思ったか。契約なんてとれなかったし、お給料もちょっとしかもらえなく
ふとした縁があって、「ゼロの使い魔」という小説を読んだ。 「ゼロの使い魔」はライトノベルだ。ぼくはライトノベルのことについてそれほど詳しくないのだが、この「ゼロの使い魔」はすごく正統的なライトノベルだと思った。非常にオーセンティックな、ライトノベルの鑑のような作品だと思った。その通り、この作品はとても人気があるようで、物語はシリーズ化され、2004年の第1巻刊行以来、すでに13巻が出されている。また、アニメやコミック、ゲームになるなど、他メディアへも大きな広がりを見せている。ぼくが読んだのは、そのムーブメントの端緒となった、2004年に刊行された第1巻だ。これを読んで、ぼくは色々な感想を抱いた。また、この作品を通して、「ライトノベル」というジャンルそのものにも、ある感慨を抱いた。そこでここでは、そんな「ゼロの使い魔」を読んで思ったことや、それを通して抱いたライトノベルというジャンルについて
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
去年書いていた神のみぞ「見る」のように、言葉に関する研究のメモをエントリにしておきます。 実はちゃんと漫画の基礎研究に繋がる問題なのですが、研究テーマの前提となる話にすぎないので、今回も「オチ」はありません。 「よむ」の意味論 「よむ」と一言で済ます言葉には、複数の意味が詰まっていて、文脈で使い分けられている。 辞書で調べてみると、「よむ」(あるいは漢字の「読」)は語源的に言って、「声に出して文字を読み上げる」(つまり「朗読」や「音読」)という意味合いが先行していたようだ。 しかし現代では、「黙読」のケースで使われることの方が本流だろうと思う。 では、「よむ」に関係する語彙を並べてみよう。 単漢字として まずは漢字から。 読(よ・む) 誦(しょう・ずる) 詠(よ・む、えい・じる、えい・ず) 「誦」は「読」よりも「声に出して読みあげる」という「朗読」の意味に限定された字で、さらに「暗誦」と言
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
純文学をしていると、「東浩紀は文学をわかっちゃいない」という物言いをする人にしばしば出会う。口にしなくとも、彼の話を話題にすると、「ラノベのあれでしょ」的な我関せずの(まあそれはそれで妥当性のある)反応をして話は先に進まない。 今月号の「新潮」にて「小説と評論の環境問題」と題する討論の模様が掲載されていて、高橋源一郎と田中和生にくわえ、東浩紀が参加しているのだが、東氏に挑みかかる田中氏の発言からは、そのような純文学サイドの苛立ちを感じ取れた。ライトノベルを評価することはべつにかまわないが、純文学を軽視しすぎているという苛立ちだ。 その軽視は、たとえば、東氏が純文学の定義を「自然主義的リアリズム」として一括するところに求められる。僕としては、東氏のそのような定義を、べつに大文字の文学とか純文学に崇高な(ジャンルの存立)根拠を見出しているわけではなく、単に事実問題として粗雑だと思っている。 た
タイトルURLid本当に恐ろしかった匿名オセロhttp://anond.hatelabo.jp/20071102124728objectO君は実にバカだなhttp://anond.hatelabo.jp/20071105170133objectOケータイ小説を責めないでください!http://anond.hatelabo.jp/20071108131632objectO結婚しましたhttp://anond.hatelabo.jp/20071115154324objectOえhttp://anond.hatelabo.jp/20071121092334objectO子供を育てるのは楽しいことだと思うのです。http://anond.hatelabo.jp/20071126163649objectO縁日と石碑http://anond.hatelabo.jp/20071105220412hanh
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