呉秀三氏が、1910年(明治43)から1916年(大正5)までの間に精神障害者の実態を調査し、異議を唱えるまで、日本では精神病患者は「私宅監置」されるのが一般的だった。「私宅監置」とは、自宅の一室や敷地内の小屋などに患者を監禁することだ。 呉が「精神病者私宅監置ノ実況及ビ統計的観察」(1918年、大正7)の中で書いた、『わが邦(くに)十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦(くに)に生まれたるの不幸を重かさぬるものというべし』という一節は有名である。 呉は、その改善に努めたが、制度としての「私宅監置」は太平洋戦争後の1950年まで続いた。 太平洋戦争中は、物資の不足等により、精神病院は一時的に減った。 しかし、戦後は政府の後押しでまた急速に数が増えた。 病院が増え続けた背景には、自宅でみるよりも入院させた方が安上がりな「精神科特例」の影響もある。 日本が海外と比較し、入院