和製ネットサービス「ニコニコ動画」のユーザーが、海外に広がっている。日本語で利用するサービスだから、日本語に慣れていない外国人には使いにくいはずだが、アジア各国で特に人気だ。10月には一部を中国語化した台湾版をリリースしたほか、韓国人ユーザーも増えている。 韓国人の女の子・リールさん(ハンドルネーム、18歳)も、ニコニコ動画ファンの1人。アニメ好きが高じて独学で日本語を身に付け、ニコニコ動画も日本語で楽しむ。 「アニメが好きな日本の人と友達になりたくて」――動画を見るだけではなく、自分自身も日本語の歌を歌って投稿した。曲はアニメ「らき☆すた」のオープニング「もってけ!セーラー服」。猛練習して歌い、思い切ってアップした。 かわいらしい声と自然な日本語に「うますぎる」「原曲に似ててかわいい」などたくさんのコメントが寄せられた一方、韓国嫌いの一部ユーザーが「アジアの恥」「国に帰れ」とひどい中傷を
中国における日本動漫人気の実情を探るべく中国の大学生たちに取材したときに、ひとつ見えてきたのは、彼ら彼女らが日本の動漫に対する熱狂のピークを迎えたのが中学生の時期らしい、ということだ。 小学生にとって動漫を見ることは単なる娯楽。それが中学に入り思春期を迎えてものを考える時期に差し掛かると、ストーリーや登場人物のキャラクターに深みと多様性とがある日本動漫が、彼らの精神形成上、とても大きな力を持つようになる。中学時に影響を受けた日本動漫の印象の深さは、成人した後もフレッシュな思い出として青春の美しい一ページとなる。 ただし高校生の半ばになると、中国ならではの非常に厳しい大学受験が控えているため、勉学に打ち込まねばならず、いやがおうでも動漫への熱狂振りは一時的に衰退する。そして大学合格後はそれぞれが専門の道へ進むので、ここでようやく、じっくりと落ち着いて日本動漫サークルなどに関わる本格的な日本動
【筆者からの、ちょっと長い自己紹介】 皆さん、こんにちは。 私は遠藤誉(えんどう・ほまれ)と申します。私がなぜ、「中国動(アニメ)漫(マンガ)新人類」を書くことになったかをご理解いただくため、連載を始める前に、先ずはざっと、自己紹介をさせていただきたいと思います。 1941年1月3日、私は中国の北の方にある、現在の吉林省の長春市で生まれました。1945年8月15日に日本が敗戦すると、中国では毛澤東が率いる共産党軍と、今では台湾にいる国民党との間に内戦が起こり、長春はその主戦場になりました。この戦争は多くの犠牲を払いながらも共産党軍の圧勝に終わり、1949年10月1日に中華人民共和国(新中国)が誕生しました。 「日本鬼子!」と罵られて 私はその時長春を脱出して北朝鮮との国境に近い延吉にいたのですが、1950年6月から朝鮮戦争が始まったため、その年の暮れに万里の長城を越えて天津に行き、天津で小
このシリーズでは、日本の動漫(アニメ・漫画)がいかに中国の青少年の心を惹きつけたかという代表的な例として、90年代半ばに大ヒットした「スラムダンク」や「セーラームーン」を取り上げたが、実は日本に出現した動漫は、どんなものでも全て中国大陸に上陸していると断言しても過言ではない。1981年にさっそうと現れた「鉄腕アトム」は、10年間におよぶ文化破壊と鎖国の中で生きてきた中国庶民に非常に大きな、そしてあまりに新鮮なショックを与えたため、「アトム」はいつまでも煌びやかな希望の星として庶民の心の中に温かく生き続けている。 日本動漫の最初の上陸の仕方がこういう風であったから、入り口の時点で好意的な目で見られているという受け容れ環境が中国にはあった。あれから26年。約30年近い歳月が流れ、中国の発展と進歩には目覚しいものがあるというのに、それでもなお今の若者の心を惹きつけて離さないのはなぜなのか。むしろ
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